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2011年02月27日

子ども理解を深めるための連続講座

おかげさまで、2010年度「子ども理解を深めるための連続講座」を無事に終了しました。

1月15日 杉山登史郎先生に「子ども虐待と情緒障害」
2月11日 西澤 哲 先生に「ネットワークからこぼれる瞬間~虐待死亡事例から考える~」
2月26日 野坂 祐子先生に「性暴力防止に果たす学校の役割」

延べ人数800人の方たちに聞いていただくことができました。
ありがとうございました。

参加者のアンケートには、びっしりと感想やご意見が書かれていました。
多くの方が、子どもの問題に関心を寄せてくださっているのだと思います。

1990年に虐待対応が児童相談所が担うようになって20年で、ようやく「放っておけない」と社会が成熟したのだと思いたいです。

これからは、第2ステージだと意識して積極的子ども支援が社会の活性化に必須だと感じてほしいです。  


Posted by にじ at 21:00Comments(0)

2011年02月23日

子どもの哲学

子どもと本気で語る体験をしている人が、どのくらいいるんだろうか。

教えてやろうとか、指導してやろうではなく、子どもの口から何が飛び出すのか、わくわくとした気分で聴いていると語っている間にも子どもが成長していくのがわかります。

黙って聞いたり、タイミングの良い質問をすることで、全神経を注いで自らの状況を整理し、どんな自分でいたいのか?と考えています。

誇り高く生きようとする子どもたちのエネルギーを感じます。

もっと、子どもたちの話を楽しみに聴いてほしいし、子どもの微笑ましい背伸びした発言にも真剣なまなざしを向けてほしいなと思います。

今、子どもたちに何かプレゼントできるとしたら、余りある予定のない時間と、豊かな感情を受け止めるおとなをプレゼントしたいな~と思います。

全国のタイガーマスクを集結させて、それらが実現できるような「子ども省」を贈りたいものです。  


Posted by にじ at 21:34Comments(0)

2011年02月22日

社会体育

いつの頃からか、子どもたちの「遊び」の時間が、社会体育にとって代わりました。
放課後の子どもたちは学童か、習い事か、社会体育です。
体を動かしていることは共通かもしれませんが、その効果は全く違うものです。

特に社会体育は非常に盛んですし、奨励されています。
野球チーム・サッカーチーム・バスケットチーム・バレーチームなどなど。
保護者の応援熱も猛烈だったりしますし、その保護者間のトラブルもよく相談を受けます。

しかし、最も怖いのは保護者の含めて「勝たせたい」「勝って自信につなげたい」という善意が先行して、子どもの発達がやたら無視されてしまったり、試合に出させたい思いが優先されて指導者からの暴力さえも愛情だよ、無視されるよりましだよ、と暴力や性暴力が隠ぺいされていくことです。

体罰は見えている場合が多く、ひどすぎるとか、やりすぎだと言いつつも、だれが指導者に忠告するのかでおとなたちがビビッていることもあります。

ところが、そのような「見える暴力」が容認されている環境の中では時として、子どもたちへの性暴力が行われていることもあります。

かわいいからだよ
お前を見込んでいるからだよ
いやなら辞めればいい
他のヤツを試合には出すから別にいいんだ……などと脅されていたりもします。

もちろん、社会体育で指導している人たちのほとんどは、奉仕的です。
自分の時間を多く子どもたちや地域のために捧げてくれています。
保護者もまた、少ししかない休日を子どものために全力でサポートしてくれています。

それがわかる故に子どもたちは、被害を語れずにいることも忘れないでください。
多くの善意の中に潜んでいる暴力に気づく目をもってください。

そして、海外のように子どもへの暴力は保護者だけがダメなのではなく、すべての人がダメだという制度や法律が必要です。

学校が気がついても社会体育というフィールドに対して、言いづらい状況であることも踏まえて、環境の改善が必要な時期が来ているのではないかと強く思います。

体罰や性被害に遭った子どもたちが共通して語ってくれることがあります。
「スポーツの練習や試合は大好きなのに、練習の時間がくると体調が悪くなる」
「親が一生懸命だから、自分が我慢すればいい」
「本当は吐きたいくらい気持ちが悪いのに、顔は笑顔でいなければならないから、どんどん自分が何かがわからなくなる」と。

  


Posted by にじ at 01:03Comments(0)

2011年02月18日

西澤さんの講演会報告

先日、2月11日に行いました「子どもの理解を深めるための連続講座」第2弾西澤先生をお招きしました。東京方面が大雪だったので、西澤先生が無事に到着できるか、本当に心配をしましたが、無事に到着なさいました。参加者が400名の参加者だったことは、このテーマを西澤先生に語っていただけることへの期待だったのだろうと思います。

「ネットワークからこぼれる瞬間(とき)」と題して講演を行っていただきました。
本当に西澤先生にこのテーマをお話ししてもらって本当によかった!とつくづく思いました。

西澤先生が1990年に虐待防止センターでのケース検討会での一場面での判断ミスについて語り始めてくださいました。専門家は決して感で判断するものではなく、根拠となるものを示せるか、あるいは「判断できない」と判断するべきだったとの

非常に中身の濃い講演で、いくつもの気づきとキーワードになる言葉をもらいました。

最後のヘンリー・ケンプの言葉を締めくくりに語られたフレーズが重く、参加者の心に響いたように思います。

「私が『疑わしくは保護を』と訴えるのは、間違って保護した子どもには謝罪することはできるが、間違って保護せずにすでに冷たくなった子どもに謝罪することはできないからである。」虐待死調査は子どもへの謝罪の最初の言葉、と締めくくられました。

まさに私たちが思いたいように思うのではなく、当事者であった子どもの死を検証することで子どもの見てきたものや、感じてきたものをできるだけ見つめることであり、そのようにしかできなかった保護者の心理を五感で受け止めることなのかもしれないと振り返ったのでした。

今回のテーマは、再度、ゆっくりとかみしめて聞きたい内容でした。  


Posted by にじ at 00:51Comments(0)