2010年09月24日
思春期プログラムと ワンコインブック
ただ今、新しいプログラムを開発しています。
思春期プログラムです。20代男女のメンバーが中心になって、10代の人たちにフィードバックをもらいながら作成しています。
私たちは常にエンパワメントを理念に行動しています。
であるならば当事者視点を外すわけにはいきません。
都合の良いところだけに、当事者を引っ張り出して「子ども参画」というごまかしだけはしたくありません。
もっとも肝心な部分である作成・開発の部分にこそ協働し、尊重し合って、真剣にやり取りをして作ることを目指しました。
自画自賛したくなるようなプログラムが完成しました。
思春期プログラムの支援者支援テキストも、カラフルに完成されようとしています。ただ今、生みの苦しみの途中です。
思春期プログラムの子どもガイドブックも、作成中です。
子ども参画とは、叫ぶものではなく、実践するものだと強く刻み、
思春期プログラムを世の中に生み出しているところです。
どうぞ、お楽しみに!!
思春期プログラムです。20代男女のメンバーが中心になって、10代の人たちにフィードバックをもらいながら作成しています。
私たちは常にエンパワメントを理念に行動しています。
であるならば当事者視点を外すわけにはいきません。
都合の良いところだけに、当事者を引っ張り出して「子ども参画」というごまかしだけはしたくありません。
もっとも肝心な部分である作成・開発の部分にこそ協働し、尊重し合って、真剣にやり取りをして作ることを目指しました。
自画自賛したくなるようなプログラムが完成しました。
思春期プログラムの支援者支援テキストも、カラフルに完成されようとしています。ただ今、生みの苦しみの途中です。
思春期プログラムの子どもガイドブックも、作成中です。
子ども参画とは、叫ぶものではなく、実践するものだと強く刻み、
思春期プログラムを世の中に生み出しているところです。
どうぞ、お楽しみに!!
Posted by にじ at
01:38
│Comments(0)
2010年09月22日
暴力は二次被害が怖い
暴力にはさまざまなものがあります。
殴る・蹴る・叩く・刺す・殺す……
言葉によって傷つけることもあります。「うざい」「消えろ」「死ね」
笑いによって力を奪い続けることもあります。何もしてないって言うかもしれないけど、クスッと笑ったそのタイミングと、目くばせで、自分がいてはいけない人間のように感じさせられることもあります。
無視されたり、シカトされたり、スルーされたり。
何をされたのか?と聞かれると答えられない。
だから「どんな気持ちになったのか?」と聴いてほしい。
暴力は、力の不均衡の中で巧みに人をコントロールしている。
だから、誰が誰に何をどのくらいやったのか?と聴かれても、被害者には孤立感が深まることはあっても
援助されているようには感じない。むしろ、援助に応えられない自分を責めてしまう。
第三者が中立的に聴こうとすると、すでに第三者は加害者の言い分に惑わされている。
言い分は関係がない。どんなことが起ころうとも、誰かを傷つけるようなやり方が間違っているのだから。
ところが、両者の言い分を中立的に聴いて、どちらが正しいのか判断しようとする。
それこそが加害者が強いる沈黙なのだ。
わたしにできること。
それはただ、ただ、当事者の気持ちを聴くこと。
自分の思い込みや、自分の感情を脇に置いて、当事者の気持ちを聴いてみること。
何を悲しみ、何に困惑し、どのくらい日常生活を奪われているのか。
傷ついた人間に、もうそれ以上、何も望まないで。
傷ついているのだから、十分に休ませて。
傷ついた人に後始末までさせないで。
暴力は、加害者だけでは作り出せない。
加害者の言動を寛容な態度で許している自分たちがいないだろうか。
殴る・蹴る・叩く・刺す・殺す……
言葉によって傷つけることもあります。「うざい」「消えろ」「死ね」
笑いによって力を奪い続けることもあります。何もしてないって言うかもしれないけど、クスッと笑ったそのタイミングと、目くばせで、自分がいてはいけない人間のように感じさせられることもあります。
無視されたり、シカトされたり、スルーされたり。
何をされたのか?と聞かれると答えられない。
だから「どんな気持ちになったのか?」と聴いてほしい。
暴力は、力の不均衡の中で巧みに人をコントロールしている。
だから、誰が誰に何をどのくらいやったのか?と聴かれても、被害者には孤立感が深まることはあっても
援助されているようには感じない。むしろ、援助に応えられない自分を責めてしまう。
第三者が中立的に聴こうとすると、すでに第三者は加害者の言い分に惑わされている。
言い分は関係がない。どんなことが起ころうとも、誰かを傷つけるようなやり方が間違っているのだから。
ところが、両者の言い分を中立的に聴いて、どちらが正しいのか判断しようとする。
それこそが加害者が強いる沈黙なのだ。
わたしにできること。
それはただ、ただ、当事者の気持ちを聴くこと。
自分の思い込みや、自分の感情を脇に置いて、当事者の気持ちを聴いてみること。
何を悲しみ、何に困惑し、どのくらい日常生活を奪われているのか。
傷ついた人間に、もうそれ以上、何も望まないで。
傷ついているのだから、十分に休ませて。
傷ついた人に後始末までさせないで。
暴力は、加害者だけでは作り出せない。
加害者の言動を寛容な態度で許している自分たちがいないだろうか。
Posted by にじ at
20:26
│Comments(0)
2010年09月06日
わたしたちは暴力と子どもに関してのスペシャリスト
私たちCAPスペシャリストは、暴力防止のスペシャリストです。
子どもが暴力を受けた場合に、どのような心理に陥りやすく、どんな生き難さを抱えざるを得ないかを、多くの人と共有し、たくさんの人と協力して、子どもが暴力に遭いにくい地域づくり、社会づくりを目指しています。
だから、暴力の構造や、暴力が起こるメカニズムや、それらの歴史についてのスペシャリストでもあります。
暴力のスペシャリストは、力の不均衡に敏感でなければならないです。
なぜなら、暴力は力の不均衡が背景にあり、それが固定化されているがゆえに、被害者が打ち明けても信じてもらえず、軽く見られ、あるいは被害者の落ち度であるかのように言われてしまうからです。つまり、加害者の論理がまかり通り、いとも簡単に隠蔽されてしまうからです。
その人間関係にある力の不均衡に常に、敏感になり、
被害者である子どもが、語りたくても語れない状況があるのではないか?
語る言葉がないのではないか?
あまりにも日常的で、馴化してしまっているがために、暴力に対する怒りさえ、持てなくなっているのではないか?
・・・と感じ、察知するアンテナを持つ必要があります。
「力」を持っていることが悪いのではありません。
「力」を乱用し、濫用することが問題です。
そして、それに鈍感になってしまったり、寛容になっている「社会」が課題なのです。
すなわち、社会を構成している一人である「わたし」の行動こそが課題なのです。
まずは「わたし」がどう考えるか? どう語り、どう動くか?なんですよね。
焦らず、急がず、でも確実に一歩一歩、争わずに・・・・
スペシャリストの心得? いやいや、おとなの心得かな。
子どもが暴力を受けた場合に、どのような心理に陥りやすく、どんな生き難さを抱えざるを得ないかを、多くの人と共有し、たくさんの人と協力して、子どもが暴力に遭いにくい地域づくり、社会づくりを目指しています。
だから、暴力の構造や、暴力が起こるメカニズムや、それらの歴史についてのスペシャリストでもあります。
暴力のスペシャリストは、力の不均衡に敏感でなければならないです。
なぜなら、暴力は力の不均衡が背景にあり、それが固定化されているがゆえに、被害者が打ち明けても信じてもらえず、軽く見られ、あるいは被害者の落ち度であるかのように言われてしまうからです。つまり、加害者の論理がまかり通り、いとも簡単に隠蔽されてしまうからです。
その人間関係にある力の不均衡に常に、敏感になり、
被害者である子どもが、語りたくても語れない状況があるのではないか?
語る言葉がないのではないか?
あまりにも日常的で、馴化してしまっているがために、暴力に対する怒りさえ、持てなくなっているのではないか?
・・・と感じ、察知するアンテナを持つ必要があります。
「力」を持っていることが悪いのではありません。
「力」を乱用し、濫用することが問題です。
そして、それに鈍感になってしまったり、寛容になっている「社会」が課題なのです。
すなわち、社会を構成している一人である「わたし」の行動こそが課題なのです。
まずは「わたし」がどう考えるか? どう語り、どう動くか?なんですよね。
焦らず、急がず、でも確実に一歩一歩、争わずに・・・・
スペシャリストの心得? いやいや、おとなの心得かな。
Posted by にじ at
19:57
│Comments(0)
2010年09月02日
チェリアン登場!!
デートDV防止プログラム「さくらんぼ」チームは、高校や中学校で活動中です。
最近、さらに進化させ「思春期プログラム」を作成しました。
このプログラムに登場する思春期の人「チェリアン」をご紹介します。
最近、さらに進化させ「思春期プログラム」を作成しました。
このプログラムに登場する思春期の人「チェリアン」をご紹介します。
Posted by にじ at
17:33
│Comments(0)