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2013年05月20日

家族

『家族』という単語で思い浮かべるイメージは、
人それぞれに違う。

温かい印象しか浮かばない人もいれば・・・
ため息をつきたくなる人もいる・・・

なのにネガティブなイメージしかモテずにいる人に
対して他者(ひと)は意外に冷たい。

心無い人のように扱われることも少なくはない。

ひとりひとりに歴史があって、そこに至る道すじがある
ことをいとも簡単に否定されてしまう。

何をそんなに頑なに明るく、
楽しくしておかなくてはいけないのだろうか。
ネガティブ・否定的・クール・悲観的な部分があっても
前向き・ポジティブ・建設的に人生や社会を考える
ことはできるのに・・・

いや、むしろ現実を見ることなく
明るくいなければ!と思うことこそ危険ではないのかな?

家族の形にも、家族の歴史にも多々あるもんさ、
ね!  


Posted by にじ at 14:40Comments(0)

2013年02月02日

暴力ではない体罰なんてない!

ここのところ、あちらこちらで意味不明な言葉を聞くことが増えた。
ニュースや、新聞、そして子ども関連の仕事場で聞く。
「体罰はしたが、暴力はふるっていない」と・・・・・。

暴力(assault)の中に体罰も、虐待も、いじめも含まれるのに・・・
信頼関係が築けていなかったから~なんて、とんでもない話だ。

また、教育やしつけのために暴力を受けることを当然だと
学ばされた人は、信頼の絆ではなく、心的外傷の絆を結びために
むしろ、その結びつきは過剰なものになりやすい。
ストックホルム症候群のように、学習性無力感になってしまうからだ。
加害行為をする者をかばう被害者という構造ができてしまう。

私たちおとなが、子どもたちに教えたいのは信頼に値する関係性のはずだ。
安全で安心できる環境でこそ、人は学びを深めることがわかっている。

それ以前に各種、法律に反しているのに、なぜか、子どもには仕方ないと
考えてしまうこと自体が差別そのものではないのか?

Aさんにしないことは、Bさんにもしないこと。
AさんとBさんは違う人間で、違う個性をもっている。
でも、暴力を受けてよい人間であるはずがない!というのは誰とて同じ。
それが人権なのだから。

訳のわからない言い訳を公共の電波を使って報道するのをもうやめてほしい。
言い訳をしていること自体、反省ではないはずだ。  


Posted by にじ at 00:01Comments(0)

2012年09月08日

いじめ防止セミナー作成!

学校職員向けのセミナーと、保護者向けのセミナーを作成しました。

子どもたちが一日の大半をすごす『教室の力学』がどうやって作られているのか。
その力学はプラスに働くときと、マイナスに働くときがある。

保護者の立場での発生予防と早期対応。
学校職員の立場での発生予防と早期対応について組立ててみた。

警察が介入するほどの事態をいかに作らずに、すべての子どもが
自分たちの教室を安全に保つのか? 子どもたちの力を良い方向に
使えるように援助するのか?

ぜひ、ご一緒に考えてみませんか?  


Posted by にじ at 22:04Comments(0)

2012年07月16日

いじめは怖い

いじめという暴力は怖い。周囲にたくさんの人間がいるのに、孤独​にさいなまれる。

いじめという暴力は怖い。わずかな人間がやっていることを、大多​数の人間たちが制止できない、そのことが怖い。

本気でなくそうとしない人は「いじめた理由」やら「どんなできご​とだったか」にばかり注目をしようとする。

大事なことは、やられた人間の傷だ。早く手当をしなくちゃ​!

大事なことは、やられた人間のこれからの不安だ。早く安心​できるようにしなくちゃ!

大事なことは、見ていた人間がすぐに行動できなかったこと​だ。アイディアやアクションが思いつかない、行動を起こ​せないことだ。早く手立てを打たなきゃ!

大事なことは、やった側が過去に味わってきた無力感だ。理​由があれば正当化できることや、できごとをごまかす手を​学んだ体験が未整理のままになっていることだ。早く、早​く、彼らの過去をひも解いて整理しなくっちゃ!手遅れにならぬ間​に。

大事なことは・・・・。大事なことは・・・・・自分の中に​もある、3つの立場だ。必ずある自分   の中の3つの立ち場だ​。早く認めなくちゃ。じゃないと、人ごとにしてしまう。

暴力は怖いが、暴力はいつも単純な構造だ。だから、手立てはいつ​もある。
大事なことは、自分のこととして考える人間らしさを捨てないこと​だ。  


Posted by にじ at 11:38Comments(0)暴力 いじめ

2012年06月19日

子どもの気持ち

最近、子どもたちは、小学校1年でも野球チームやサッカー、ラグビー、剣道などに所属していて何かと1週間ずっと忙しい。

そんな中、子どもたちがスポーツに関する気持ちをよく語ってくれる。

あちゃっ!! と失敗したときに、監督やコーチなどから怒号が飛び交う。
さらにはビンタ! 地面に正座! 蹴り!

おまけにサポートに付き添ってきている保護者が
自動車に乗った途端に、再度、怒鳴る・恥ずかしかったと嘆かれる・・・・・・

自分でも「しまった」と思っているところにもってきて、さらに二重三重に貶められる。

それが期待の表れだろうが、励ましのつもりだろうが、それは何ら子どもへの温かいサポートではない。

もちろん、ビンタ。地面に正座。蹴りは、指導でも教育でもなんでもない。暴力だ。

どういうつもりだったかなんて、意味はない。

そのような指導を受けた子どもたちが学校という集団の中でどのような日常生活を送っているか

かれらは知っているのだろうか?

責任を持った行動をするように彼らは、子どもたちに言っているようだが

責任を持った行動をしていないのは指導者の方ではないか?!

なぜなら、そのような指導を受けた子どもたちは学校でかれらと同じやり方を繰り返している。

自分が正しい、と思ったことであれば相手を叩こうが、なじろうが、蹴ろうが、正しいんだから、という

自分の価値基準だけで友だちを攻撃している。

教えられたことを繰り返している。 そんなクラスがどんなに勉強をしたり、友だち同士の支えあいを学ぶのを

邪魔をしているか、指導者の方たちは責任をもってみようとしていない。

保護者の方々にもお願いをしたい。

一流の選手にしたかったり、スポーツを通して生き方を学んでほしいと願っているのならば

子どもが励まされるようなサポートをお願いしたい。

子どもが学校や、地域の中で、誰かを支えたり協力したりできるような術(スキル)のお手本になってほしい。


この数年、授業に入らせてもらって思うのは、集団で学びあうことが苦手な子どもたちの姿だ。

教室の広さを認識できない子どもたち。

おとなに言われるままに生活をしている子どもたちが、自分の周辺直径1~2mの範囲しか見えていない。

感じられていない。

人を関心を持って見つめる・感じることができていない。


子育ては、基本的に「子守り」と「お手本」だと私は思う。

子守り、というのは、本当の意味で子どもを守るという積極的な行動だ。

子どもがおとなにしっかりと守られているという実感だ。

守られている、と感じるからのびのびと探究できるし、学ぶことができる。

お手本とは、口先だけで動かそうとするのではない。

わずか数年間しか生きていない子どもに向かって、

何十年も生きた「おとな」が。自分の思い通りにやってくれない!!と、ダダこねて

八つ当たりするのではないはず。

「おとな」らしく、手本となるようにふるまうことが大事なのではないのか。


「おとな」が子どもに甘えすぎている。

甘えとは、聞こえがよいが、体の良い支配だから・・・・・・・。


「おとな」は「おとな」である責任を長い目で、広い視野でやり遂げる必要があると、私は思う。
  


Posted by にじ at 07:20Comments(0)子育て

2012年06月18日

お久しぶり

みなさん、お久しぶりです。
フェイスブックにはまっていて、ブログから遠ざかっていました。
ごめんなさい。

6月は毎年、ワークショップが忙しい時期です。
たくさんの学校や保育園、専門職の方たちへの研修にでかけます。

たくさんの人たちの頑張りにも出会います。

だけど、もっと~~があれば、この子どもやおうちの人たちは、もっと楽に生きられるのになぁ~と
むなしい気持ちになることもあります。

あきらめている人たちに出会うと、気持ちが凹みます。
特に、公的な機関で働いている人たちが、ご自身の仕事に見切りをつけている姿を
目の当たりにすると、「あなたが、あきらめたら、市民は誰を信じたらいいの?」「誰を頼って生活支援をしたらいい?」と
途方に暮れてしまいます。

公的機関で働く人たちは、自分そのものが「仕事道具」であることを
どうか、忘れないで。

失敗を恐れること自体が、すでに、失敗であることを忘れないで。

特に人と人との絆をつなぐ職場の人たちは、自分をもっと高く評価して働いていただきたい。
心から祈ります。

話をしていて「自分には~~~できないから」とあきらめている感じを持つときが時々あります。

「そこ」で働いている「あなた」がまず第一歩、踏み出さなければ職場の人たちとの会議にも持ち込めない。
みんなで決めることも、最初は自分の感覚がスタートのはずです。

何かできない?
措置でなくても、処理でなくても、決議でなくても、
言葉・表情・態度・正直さ・率直さ・期待・・・・・
なんでもできることは、少しでもあるはず。


読んでくださっている方たちには、奥歯に物が挟まったような表現だな、と感じていらっしゃることでしょうね。
そうなんです。
奥歯に物が挟まっている状態なんです。

奥歯にもの挟まった状態であっても、何かしら発信したかったのです。

・・・・・・、NPOはそれでもあきらまたりしない。

だって、それがNPOやNGOなのだから!!
  


Posted by にじ at 06:46Comments(0)

2012年04月24日

予防教育の必要性

子どもを育てるプロセスには、一時期、社会から孤立感を無性に感じる時があります。

実際には常につながっているはずなのに、現実的なつながりを感じられないような。
それでいて、情報はマスメディアから入ってきますから、何やらアンビバレンツな感覚に陥ります。

不安が嵩む心理状態で、日々、子どもと付き合っているとガチに子どもとケンカしているような状態になることもあるようです。

また、妊娠後もすっきりとファッショナブルにいきいきと、キラキラと輝いている女性たちがファッション誌を飾ると、とっても自分がみじめな気分に落ち込むこともあるようです。

いい母親になろうと思うと、諸先輩方の代表であるお姑さんや実家のお母さんの過去の経験値から教えてもらうことも増えます。ところが、現代のお姑さんたちの中には、子育てはおばあちゃんに任せていたわ!という方たちもいらっしゃるのも現実!! 一方で元気でハイカラなお姑さんたちも「やりたいこと」「やらなきゃいけないこと」が多くて、いつでも都合の良い時に、すぐに子どもを預かってもらうというわけにもいかないのが現実でしょう。

じゃあ、夫はどうか?!? 妻だって子育て初体験だし、何をどう援助してほしいのかも要領を得ないこともたびたび。それに、たまに手伝ってくれても(意地悪で手伝わないのではなく、働き方が子どもとの時間に合わないことも多し)、小さな子どもは特に泣き出したら父親では泣き止まなかったりするもの……。

何かと大変なんです。子育て広場なので出会うママ友との、おしゃべりはタイムリーだし、なるべく孤立感を防ぐために話したいし、地域の講座や子育てサークルや、子育て講演会やら何やら、したいことは山のように溢れ出すのに、出かけるのは一苦労!!((+_+)) 

そんな女性の立場があっての、子どもたちです。

子どもたちと地域との接点も少ないとなると、どうしても、子どもも、孤立しがちです。

「孤立」というのは周りに人がいないという状態を指すのではなく、いざ!という時に遠慮なく頼れる人が存在すると心から思える状態にない、ことだと思います。

孤立は、暴力とお手々つないでやってきます。暴力そのものが人を孤立させ、相談できないようにしてしまう作用があるのに、もともと孤立している場合、さらにコントロールしてしまいやすいのですから、本当に厄介です。

だから、今こそ、子どもたちには予防教育を進めたいし、子育て中の人たちにも「自分が大切な存在」であることを実感しつつ、「今は少しの間だけ、子どもを優先に生活できる自信を持とう!」と思ってもらいたい。

いろんな意味で予防って、単純だけど奥が深いです(*^^)v
科学的に的を得ていなければ、単純な予防方法は効果をなしません。

さてさて、皆さんの地域ではCAPプログラム導入されていますか?
CAPをやっている私だから宣伝しているのではありません。

包括的な人権を核にした予防教育は、CAPが一番、よくできているなーという実感があって自信を持って宣伝したいなーと思っているのでした。

  


Posted by にじ at 19:19Comments(0)子育て

2012年04月02日

もう決まっちゃいました!!

早々に2012年度の子ども理解を深めるための連続講座IN KURUMEの講師陣が決まりました!!

つまり来年の1月20日(日曜日)村瀬嘉代子先生

2月9日(土曜日)玉井邦夫先生

2月16日(土曜日)西澤 哲先生

かなりに期待できますよ。今からスケジュールをあけておいてください(*^^)v
  


Posted by にじ at 15:35Comments(0)

2012年04月02日

ビジネスに勝る子育て支援をめざせ!

ネットで、下記のような本の紹介を見つけました。

読んではいませんが、タイトルや項目を読んだだけでも、手法が科学的
子どもの発達が考慮され、結果的に子どもの好奇心を満たす手法が大事にされています。
これは結果を重要視される塾や企業だからでしょうか。

実はこのような手法は、教育や子育て支援でこそ、当たり前のように重要視されてほしいのですが、残念ながら、教育や子育て支援の現場では、おとな側の経験値の方が優先されていることも多いものです。

思い・熱心さ・愛情・将来のため・自分たちの子ども時代には……などの「おとな視点」が優先される結果、主体者である子ども視点は後回しになってしまい、結果、「こんなに教えているのに」「しつけのつもりだった」「あの子は、何度言ってもいうことをきかない子ども」などと子どものせいにしてしまう身勝手さが目立ってしまいます。

教育や子育て支援は、目指すべき目標を共有化し、そのための手法は、科学的で非暴力であることが必要でしょう。さらに子どもの好奇心を伸ばしてやりたくても、そのようにふるまうことさえできない課題を抱えている保護者や家族も含めて支援するのが教育や子育て支援ではないでしょうか?

個人的なアプローチだけでなく、環境へのアプローチを含めてアクションを起こすことが、行政などの仕事だろうと思います。

じゃあ、その行政を支えるのは誰なのか?
「ハイ!! 私たち選挙権を持つ『私』です。」

人ごとにしない、人のせいにしない。
そう思った「書評」でした。(;一_一)


【レビュー書評】子どもを勉強好きにする20の方法
【コラム】 2012/04/02(月) 10:25
書名:『子どもを勉強好きにする20の方法』
著者:西村創(著)
出版社:WAVE出版
価格:1,470円(税込)

  帰宅途中の駅前で塾通いの子どもとすれ違うことがある。子どもの多くは早朝の電車で学校に行き、帰宅してひと休みするか塾に直行だ。

  学校と塾通いは大人のダブルワークのようなものだが、子どもたちは当然のようにそのスケジュールをこなしている。おなじ年頃の子どもを持つ知人によると、成績の良し悪しは塾の指導方針と家庭学習で決まり、学校の勉強は二の次とのこと。

  昨今の塾がどのような学習方法をとっているか知る人は少ないと思うが、本書を読んで著者である塾講師のプロ意識と高度なテクニックに驚いた。

◇「長所と短所は表裏一体。長所も短所も、もとは同じです。ある特性が状況によって長所としてとらえられたり、逆に短所に見られたりするだけで、もとは一緒だと思いませんか。」

◇「叱り方にもコツがあります。最大のポイントは感情的にならないということ。感情的になってしまっては、それはもう「叱る」「さとす」ではなく「怒る」「キレる」であり、いい結果を生みません。……怒りたいときこそ、冷静に、が鉄則です。」

  良質なビジネス書や自己啓発書に出会った感覚で読み進むと、第3章「子どもを変える塾講師のプロ技」では、子どものやる気を引き出す4つのスタイルとして、ティーチング(教える)、コーチング(導く)、カウンセリング(受け止める)、メンタリング(助言する)を詳しく解説。次々に披露されるプロのテクニックとロジックに思わず唸る。

◇「アメとムチは「やる気」の敵。…「やる気」の源である「好奇心」はどの子どもの中にももともとあるものです。でも、アメで好奇心は溶けてしまい、ムチで砕けてしまうのです。」

◇「子どもにむける最悪の言葉、それは「勉強しなさい!」です。」

◇「覚えて、忘れる。これを繰り返すことで、覚えている(正確にはすぐ思いたせることのできる)期間が長くなっていくのです。「忘れる」ことで初めて「覚え直す」ことができるので、やはり忘れるということは必要な工程です。」

  著者の西村創さんは「子どものやる気を引き出すためにはどうすればいいのか」をひたすら探求している塾講師で、2000人以上の生徒に接して得られたプロ技を伝授するのがこの本。構成はひたすら子どもの「やる気」を引き出す本で「自分の感情優先」から「子どもの感情を優先」が新鮮。誰もが実行できる20のアプローチが収められている。(編集担当:前野晴男)

【主な目次】
第1章 子どもの感情を優先する新法則(「好奇心」を「成功感」につなげる;「五本指」の心がけを忘れない ほか)
第2章 勉強意欲を伸ばす力・見守る力(子どものタイプ別に上手に叱ろう;答えを出すプロセスを大事にする ほか)
第3章 子どもを変える塾講師のプロ技(はじめの一言を工夫してみよう;「教える」から「導く」に変える ほか)
第4章 「勉強する子」の親の習慣(「親の覚悟」をしっかりと固める;やる気に先立つ目標を見つけさせる ほか)
  


Posted by にじ at 11:23Comments(0)子育て

2012年03月13日

子育て支援

下記のような新聞記事を読みました。
皆さんは、どんな感想を持たれるでしょうか?

実家の親は何をしていたんだろう?と、腹が立つますか?
母親なんだから、どんなにパニックになったからと言って、
そんなことするなんて考えられない!と驚いていますか?
いやいや、実家にさえ帰れば何とかなるっていう安易な考えそのものが乏しい発想なんだよ!思う人もいるかもしれません。

私たちは自分で体験しないと大変さがわからないというのであれば
それは人間ではないわけです。

実家の親は、どんな風に感じていたんだろう?
母親は、その瞬間、ふと正気に戻った時どう感じたんだろう?
ご実家の他の人たちは?
児童相談所の人たちは?
何しろ、父親はどんな気持ち?どんなふうに支えていたの?
ご近所さんは?

想像したり、過去の体験によって認識や反応が違うことを
学習している必要が支援者には必要な知識です。



双子暴行容疑 乳児の母逮捕2012年03月13日

 生後1カ月に満たない双子の赤ちゃんを床にたたきつけるなどしたとして、袋井署は12日、静岡市葵区平和3丁目、無職中野綾奈容疑者(23)を傷害の疑いで逮捕し、発表した。「夜泣きがひどくて睡眠が取れず、パニックになってやってしまった」と容疑を認めているという。


 静岡市児童相談所は、2010年7月にも生後11カ月の長男に暴行した疑いがあるとして、中野容疑者を指導していた。


 袋井署によると、中野容疑者は昨年3月10日、双子の娘を静岡市内の病院で出産。その後に帰省した袋井市の実家で3月28日から4月5日ごろの間、2人を床や布団にたたきつけるなどして暴行し、長女に脳挫傷や硬膜下出血、頭の骨が折れる重傷、次女には頭部挫傷などの重傷をそれぞれ負わせた疑いがある。


 同5日に1カ月検診のために訪れた病院が、虐待の疑いがあるとして同児童相談所に通告。同署が捜査していた。


 2人は現在、それぞれ里親の元で暮らしている。長女は今のところ大きな後遺症もなく回復し、次女のけがも治っているという。


 同署によると、中野容疑者は夫(25)と長男、双子の長女、次女の5人家族。袋井市の実家には長男と双子を連れて帰省していた。実家には中野容疑者の両親と祖母、妹と弟が暮らしており、同署は暴行に気づかなかったか話を聴く方針。


 静岡市児童相談所の久保坂篤所長によると、静岡市の病院から2010年7月、中野容疑者の長男の体にあざがあるとの通告があり、面談。その際は「保護するほど緊急性は高くない」とみて、夫の実家で暮らすよう指導した。双子を妊娠していた昨年2月に面談した時は「出産後は里帰りする」と聞き、安心していたという。


 昨年4月5日の通告時は、中野容疑者は「育児に疲れている」と話していたとしている。

  


Posted by にじ at 11:29Comments(0)虐待防止

2012年02月29日

ボヤキ

春を目前にしての雪景色
寒いけれども、暖かい日がもうすぐそこにまで来ている喜びも感じますicon48

私たち「NPO法人にじいろCAP」がやっている仕事は、形になって見えるものを生産しているわけではないので、時々、わけもなく『こんなことをやっていても世の中がわかるわけじゃないし』とか、『自分たちがやらなくても~』という弱気な気持ちになることもありますicon03

でも、そのたびに10年前と比べてみて考え直すことにしています。
活動を始めた頃には、「虐待なんてこの辺りには関係がありません」「子どもに人権なんて言うとワガママになるだけ」とか「親の問題だから~」とか言われていたものです。

そのころを思えば、まだまだとは言うものの随分と進んだと思います。虐待はどこにもあるもの、と認知されました。それはいじめもまた同じです。

各市区町村で行われる人権講座に、高齢者や障がい者、部落差別の問題、女性問題はあっても、子どもというテーマは以前はあまりありませんでした。

長い歴史の中で生まれた問題を、自分がちょっと実践したからといって「誰もわかってくれない」となげいてみたり、憂いてみたりってかなりおこがましい気がします。

私が持っている石を1つ1つ運んでいるうちに、何かができるのかもしれませんし、できないのかもしれません。それでも何かを作ろうと運び続けることだろうし、ともに運んでくれる仲間をつくっていくことなのかな~と思います。

焦りすぎてもいけないし、急がないのも子どもたちに申し訳ないし。

そんなことをツラツラと考える4年に1度のうるう年29日でしたicon123  


Posted by にじ at 17:11Comments(0)

2012年02月11日

怒りって、どこから来るのか?

人間関係はむずかしい……

でも、愉しいこともいっぱいある。

人間関係をまずくしちゃうのは、怒り。

じゃあ、その怒りってどこから来るのかしら?!

さみしさ・みじめさ・悔しさ・恨めしさ・うらやましさ……

誰かとの比較・理解されないむなしさ・思い通りにならないもどかしさ

・虐げられた無力感……

いろいろなモヤモヤや、イライラ、チクチク、ドキドキ、ハラハラ……

そんな情動が複雑に絡みあい、力の不均衡を利用して

暴力という手段で出てくる。

「~~なことをするなんて、ちょっとくらい痛い目に合わせなきゃ、

わからないんだ。このくらい傷つけたって仕方ないさ!」と正当化してしまう。

あるいは、後から正当化する。


これは別段、非常に困った人だけに起きることではない。

だれにでも起きている。

この怒りになる前の情動や感情に注目することが大事だ。

怒りになる前の自分の情動や感情を、自分で認知したり、

他者からフィードバックしてもらったりして、コントロールできるような援助が必要だな。

そういう意味でも、仲間は本当に大切。

「イライラしてるね」「今日は、なんだかトゲトゲしいよ」なんて

言ってくれる仲間がいるグループや組織は、

いろいろあってもピンチをチャンスに替えられる。

怒りが悪いわけではないが、怒りを無視したり、過小評価するとこじれる。

怒りをぶつけたり、表しやすい方に噴射しそうになったら、

もっと深いところに、怒りの素があるんじゃないかと

自分をいとおしく眺める時間と振り返る手間が必要なんじゃないかなぁ~(゜_゜>)  


Posted by にじ at 19:58Comments(0)

2012年02月05日

津崎哲郎先生

津崎先生が昨日、久留米市に来てくださいました。

淡々と35年間の児童相談所職務の中で培われたスキルと基本的な考え方を教えてもらいました。
私たちも読むことができる児童虐待防止法ですが、その読み解き方を津崎先生に語ってもらうことで
こんなにも勇気と、ひらめきが得られるなんて!

子どもの育ちを阻害するものを、どうやって、なるべくよい環境にできるのか? いや、できるかどうかよりも、したいと思っているのか? という部分が見えた気がしました。

これが2月18日の西澤哲先生に、より深くつないでもらおうと思います。

援助者の相手の懐に入るような「大阪のオバちゃん」形式で関わることを大事にしよう!!  


Posted by にじ at 10:31Comments(0)

2012年02月01日

女性解放運動・子どもの権利擁護

最近、思うに……

女性や子どもが、女性というだけで
子どもというだけで、差別を受ける、暴力を受ける、暴力を受けても小さく見積もられたり、
なかったことにされたりって理不尽だ!と、18世紀以来、リベラルフェミニズム・ラディカルフェミニズムと多くの人たちが、理不尽なものに運動を起こしてきました。

何を言いたいか、と言いますと……

わたしの周りにいる人たちだけ見ても、
いつの間にか、親の介護や、自分が介護される立場になった時のために
働いたり、活動をしたり、し始めるわけです。

数十年前だったら、子どものことというとPTA活動など
各地で盛んに行われたいましたし、
母親と女性教師の会などは第二次世界大戦に子どもたちを
自ら送り出したことへの痛手から、二度と子どもたちを
戦争に送り出すまい、と各地で人たちが熱心に活動をしていました。

ところが、今は子育て世代は非常に孤立をしています。
おまけに専業主婦は少ないし、専業主婦も忙しいし、
さらには、子どもの人数が少ないですから
子どものことに携わっている人たちが少ない。

さらにさらに、子どものことに携わっていた人たちが
だんだんと、介護のことをやりだす時代です。

上野千鶴子さんも「おひとりさま」の時代
落合恵子さんも女性センターに呼ばれてたくさんの集客効果をお持ちですが
話す内容は、お母様の介護から得られたお話。
その話はすばらしいものですが、女性運動=介護の話に終わっていいのでしょうか?

いつになったら、人間という人生の「初めの段階」は、子ども時代だと
みんなは気づいてくれるのでしょうか?

ずっと「おとな」だったような気になって、みんなが介護のことを
気にして生きているような気になってしまっているんじゃないかな?
と少々、気をもんでいます、わたし。

おそらく自らも親の介護や、パートナーの介護に時間を割かれることが
もう、そこまで来ていることはわかっているんです。
それでも介護は社会化されました(十分じゃないけど)。

でもね、介護するのも、介護の必要な費用を負担するのも
今を生きている子どもたちですよ。

思うように生きて、子どもたちに借金だけ残すような
時代にならないようにしたいな~と

私は死にゆくその日まで、子どもの権利擁護に
私、という存在をかけたいと誓うのでありました。  


Posted by にじ at 20:59Comments(0)

2012年02月01日

津崎哲郎先生が久留米に来るよ!

子ども理解を深めるための連続講座の第2弾、京都花園学園大学の津崎先生が来てくださいます。終了後も主催者とゆっくりと話せる時間を作ってくださったので本当に安心です。

今回は、虐待かも?と思って関係機関に相談しても、その9割が在宅支援になるわけですから、そのあと、どのように「見守る」のかについて詳しくお話をしてほしいと津崎先生、第3弾の西澤先生にお願いをしています。

よくこんなことが家庭の中での笑い話にありませんか?

「ちょっと、手が離せないから、お鍋の火加減を見ておいてね!」
「は~い!」
…………
「あれ!焦げてるじゃん??!」
「だって、見ておいてって頼まれたから、見てたんだよ」
(;一_一) (意味ないじゃん)
~~~なんて笑いえる話はいいのですが。

こんなことが虐待通告の後にも起きてしまうわけです。
見守るって何を見守るのか?
どこを観察すべきなのか?
だれが責任を持って見守るのか?
何か、積極的に動くべきなのか? 介入すべきではないのか?
だれが責任をもってプランを立てているのか? 建てられていないのか?
そんなことを学ぶチャンスになればと期待をしています、。

皆様もぜひ、お越しください。
CAP活動を通して、早い段階で●●●な部分が心配です。根拠は△△△です。もし、~~な風なことが見受けられたらすぐに◆◆◆などの関係機関にご相談くださいね!とお願いをしてきますが。
そんなふうにお願いをしてきた子どもたちが、何らか風の噂で、大変な状況に追い込まれていることなどを見聞きすると、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまいます。

もっと私たちに力があれば、もっと真剣に聞いてもらえたのではないか?とか
もっと危機感を伝えることが上手だったら?とk

私たちはCAP活動に誇りを持って伝えています。
もしも、もっと行政と協働で手を組みながら実践できていれば、違ったかもしれない……

そんな気持ちを持ちながら、日々、子どもたちにとっては愉快な時間になるようにと
務めているし、そのように伝えられるようにグループ内の研修や気持ちの共有に努めてはいます。

どうぞ「子ども」は、「おとな」とは違うということ
子どもには「守られている実感」が必要であること

思い出してください。そんな2月4日の研修になることでしょう。お待ちしています<(_ _)>  


Posted by にじ at 20:37Comments(0)

2011年12月24日

子ども理解を深めるための連続講座 in KURUME

2012年1月14日(土)
京都舞鶴学園 学園長 桑原教修氏
「生きにくさを持った思春期の子どもたち
~児童養護施設の現場から~」

◆久留米市男女平等推進センター210・211学習室

2012年2月 4日(土)
京都花園大学 社会福祉学部教授 津崎哲郎氏
「児童虐待と地域支援」
◆久留米市男女平等推進センター視聴覚ホール

2012年2月18日(土) 
山梨県立大学 人間福祉学科教授 西澤哲氏
「家族の養育機能の回復を目指して
『見守る』から『支える』へ」

◆久留米市市民会館小ホール

いずれも14:00-16:00
無料
問い合わせ先
090-1921-3715  


Posted by にじ at 17:57Comments(0)虐待防止

2011年12月20日

子ども理解を深めるための連続講座 in KURUME

第3回 子ども理解を深めるための連続講座 in KURUMEを行います。

京都の舞鶴学園をご存知でしょうか?

何らかの理由で家庭ではしばらく暮らせない子どもたちが、児童相談所の措置のもとに暮らしています。
一言では言い表せない、いろんな体験をした子どもたちが当然の子どもの権利として、社会的に守れます。

そんな子どもたちの暮らしを守るのが舞鶴学園をはじめとする児童養護施設です。

第1弾:1月14日には桑原先生を、え~るピアの210・211号室でお話をしていただきます。

演題「生きにくさを持った思春期の子どもたち」児童養護施設の現場から

桑原氏が学園長を務める舞鶴学園は、「子どもたちが日々の生活に主体的に参加することで”暮らしのある”状況をつくりたい」という願いから、小舎制を導入されました。
子どもたちが、”できる限り一般家庭に近い生活ができるように”と、生活費は年間予算に応じて家ごとに割り当てられ、家計と同じように職員と子どもたちが一緒に考えて予算を切り盛りしたり、 買い物に出かけたり、月に一度は全員で食事を作ったりされているそうです。
児童養護施設で暮らす子どもに必要なことは、家庭で暮らす子どもにも必要なことです。

当日は託児もあります。
無料です。
これは親と子のこころの対話研究会主催として行います。
また講演会終了後、学園のドキュメンタリー番組を上映します。

児童養護施設で暮らす子どもたちの生活の中から見える子どもたちに必要なものをいっしょに見つめましょう。  


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2011年12月20日

社会的養護のもとにいる子どもたち

社会的養護のもとに暮らす子どもたちに向けて、私たちCAPスペシャリストは当初より、何とかCAPが大事にしているメッセージを彼らにこそ、伝えられないだろうかと実践を重ねてきました。

先週末、12月18日に東京都板橋区にあるグリーンホールにて一般公開で午前中、午後にわたり「子どもたちと明日をつくろう!」というタイトルで講演会や報告会を開きました。午前中には山梨大学の玉井邦夫先生に。午後には大正大学の鈴木力先生をゲストコメンテーターに各グループの報告会を開くことができました。

さまざまな職種の方が、このテーマに足を運んでともに考えてくださるということにまず、感動をしました。正直、うれしかったです。

各グループからのCAPプログラムを社会的養護のもとで暮らす子どもたちに届けておきる波乱や、感動、そして出会い、それから人権とは何ぞや!を知るその瞬間瞬間のできごとについて語られました。

CAPプログラムの根底にながれる揺るがない当事者視点こそが、社会的養護のもとで暮らす子どもたちに必要な援助の視点なはずですから。私たちCAPスペシャリストができる役割は、もっとたくさんありそうです。  


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2011年10月01日

小さな胸の中に②

相談と告げ口は違う 子どもの暴力防止プログラム(CAP)で行う子ども向けワークショップでは、子ども達が友達の大切な権利を奪う「いじめ」もテーマにしています。
 毎日かばんを持たされる、お金を持ってこいと言われる・・・などといった内容のロールプレイ(役割演技)を見た後、クラスの子ども達と一緒に考えます。何が起こり、その後どんな気持ちになったのか、そして、何ができるのか、と。
 いつも話題になるのは「告げ口」です。子どもたちは、いじめられたことを誰かに打ち明ければ「告げ口をするひきょうなヤツ」とみられないか不安なのです。
 そこで、

誰かを困らせるために、別の人にその人の事を悪く伝える「告げ口」と、自らの身に降り掛かった困り事を「相談」するのは違うのだと説明します。「相談するのは大切な権利の守り方なんだよ」と話すのです。

 クラスの一人一人がそれを聞いて、学年全体で共有し、先生が全校に広めてくれれば、子どもたちはどんなに安心するでしょう。
 5年生のA君がワークショップの後に、クラスで起きていたいじめの相談に来てくれました。
「話してくれてありがとう。とっても大切なことだから、担任の先生にも話して一緒に考えてほしいけど、先生に話せますか」と聞くと「ワークショップに参加して、勇気がわいたから」と自分で相談に行きました。
 来たのはA君だけではありません。いじめに気づきながら、それを止めたり相談に乗ったりすることができなかったほかの子どもたちもやってきました。
 ちょっとしたアドバイスや、良心を確認できるようなスキルを与えられると、子どもたちは思いのほか力を発揮し、自分たちで問題を解決できます。もちろん先生をはじめとする大人が支えていることを感じ取れるように工夫するのも大事なポイントです。
 高学年の子どもたちからよく出るのは「相談しても仕方がない」という意見です。それでも「心のもやもやを誰かに話すと、どんな気持ちになる」と尋ねると、「安心する」「一人じゃないって気持ちになる」などの言葉が返ってきます。そして「誰かに話すのは安心する権利のためだよ」「解決しなくてもホッとするもんね」という意識が広がっていくのです。
 子どもたちは、言っても無駄だと思い込み、自己規制しがちですが、きちんと意見を尊重してもらえる安心感があれば、自由な発想ができなくなります。そして、一人一人の気づきを共有して善悪を判断できる力を備えていくのです。






  


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2011年09月26日

かかわる「おとな」

中学生らと おしゃべりをすると
時々、通じないことがあります。

私はたくさんの成人した人間をさして
「おとな」と表現しているつもりですが

彼らは「教職員」か「保護者」と限定して
受け取っていることが結構、あります。

おとなって、もっとたくさんいるでしょ?
と反論をすると

ある中学生に言われました。
「街路樹と同じで、いることは知っているが
かかわってこないから いないも同然」と。


確かに・・・
ある意味、ごもっともな意見です。


知らん顔されるとき
相手によく伝わる非言語メッセージは
「あなたと関わることが面倒くさい」という
メッセージです。


幼児期の子どもと同じように
思春期の子どもも愛らしい

発達の課題を抱えて苦悩する姿は
実に愛らしい人間らしい姿です。

その悪戦苦闘な姿、一喜一憂する姿に
目を細めましょう、おとなですから。

見えないふりは、やめませんか?


おとななんですから、気持ちの良い付き合い方を
示しましょうよ。

もっと自然に、気持ちよく!
教えてやろうとか、しつけちゃろうとか、たしなめちゃろうではなく

もっと自然に!

「あら、汗びっしょりじゃない。風邪ひかんようにしっかり拭いたがいいよ。タオル持ってる?」
「この前は、友だちと楽しそうやったね。よかね~」
「毎日、よう頑張って行きよるね。えらかね」
「わあ、日焼けしたね。」
「雨にぬれたね。傘かそうか?」
「楽しそうだね。見えているだけで おばちゃんも楽しくなる。ありがとうね」


もっと自然に、気持ちよく!
できないなら練習しよう。
だって、子どもには求めているじゃないですか!!

人に求めるなら、
自らにも求めてみましょうicon122  


Posted by にじ at 09:43Comments(0)