子どもの気持ち

にじ

2012年06月19日 07:20

最近、子どもたちは、小学校1年でも野球チームやサッカー、ラグビー、剣道などに所属していて何かと1週間ずっと忙しい。

そんな中、子どもたちがスポーツに関する気持ちをよく語ってくれる。

あちゃっ!! と失敗したときに、監督やコーチなどから怒号が飛び交う。
さらにはビンタ! 地面に正座! 蹴り!

おまけにサポートに付き添ってきている保護者が
自動車に乗った途端に、再度、怒鳴る・恥ずかしかったと嘆かれる・・・・・・

自分でも「しまった」と思っているところにもってきて、さらに二重三重に貶められる。

それが期待の表れだろうが、励ましのつもりだろうが、それは何ら子どもへの温かいサポートではない。

もちろん、ビンタ。地面に正座。蹴りは、指導でも教育でもなんでもない。暴力だ。

どういうつもりだったかなんて、意味はない。

そのような指導を受けた子どもたちが学校という集団の中でどのような日常生活を送っているか

かれらは知っているのだろうか?

責任を持った行動をするように彼らは、子どもたちに言っているようだが

責任を持った行動をしていないのは指導者の方ではないか?!

なぜなら、そのような指導を受けた子どもたちは学校でかれらと同じやり方を繰り返している。

自分が正しい、と思ったことであれば相手を叩こうが、なじろうが、蹴ろうが、正しいんだから、という

自分の価値基準だけで友だちを攻撃している。

教えられたことを繰り返している。 そんなクラスがどんなに勉強をしたり、友だち同士の支えあいを学ぶのを

邪魔をしているか、指導者の方たちは責任をもってみようとしていない。

保護者の方々にもお願いをしたい。

一流の選手にしたかったり、スポーツを通して生き方を学んでほしいと願っているのならば

子どもが励まされるようなサポートをお願いしたい。

子どもが学校や、地域の中で、誰かを支えたり協力したりできるような術(スキル)のお手本になってほしい。


この数年、授業に入らせてもらって思うのは、集団で学びあうことが苦手な子どもたちの姿だ。

教室の広さを認識できない子どもたち。

おとなに言われるままに生活をしている子どもたちが、自分の周辺直径1~2mの範囲しか見えていない。

感じられていない。

人を関心を持って見つめる・感じることができていない。


子育ては、基本的に「子守り」と「お手本」だと私は思う。

子守り、というのは、本当の意味で子どもを守るという積極的な行動だ。

子どもがおとなにしっかりと守られているという実感だ。

守られている、と感じるからのびのびと探究できるし、学ぶことができる。

お手本とは、口先だけで動かそうとするのではない。

わずか数年間しか生きていない子どもに向かって、

何十年も生きた「おとな」が。自分の思い通りにやってくれない!!と、ダダこねて

八つ当たりするのではないはず。

「おとな」らしく、手本となるようにふるまうことが大事なのではないのか。


「おとな」が子どもに甘えすぎている。

甘えとは、聞こえがよいが、体の良い支配だから・・・・・・・。


「おとな」は「おとな」である責任を長い目で、広い視野でやり遂げる必要があると、私は思う。

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