2010年07月19日

自由

CAP子どもワークショップで「自由って、どんなとき?」と尋ねると、子どもたちはイキイキと答えます。
たとえば・・・・・

遊んでいるとき
寝ているとき
好きな科目の授業のとき
図工の時間
体育のとき
親が家にいないとき
宿題をしてしまったとき
夏休み
おじいちゃんから、お母さんに言わなくていいよってお小遣いもらったとき
お父さんが「わかったか!」と説教を終わらせたとき
プールの時間の最後の自由時間
友だちと、何して遊ぶ?と決めているとき
バイキング(料理)のとき
セレクト給食の日
塾や習い事のない曜日
命令されたないとき


子どもたちは、本当にイキイキと答えます。
あの表情の1つ1つが私の宝物でもあります。

ひとりで決めることもあれば、仲間と決めることもある
誰かと相談しながら、行動や形や、考え方を選んだり、決めたりする
それが上手くいかなかったら、また、選びなおす
そのくり返しが「自分らしさ」
自由に選んだり、決めたりすることは
人が生きていくのになくてはならないもの


しかし「自由なんてない」と、怒りに満ちた表情で吐き出すように答える子どももいます。
彼らの深い根源的な怒りは、数日間でできたようなシンプルなものではないでしょう。
きっと無力感を思い知らされる日常があるのかもしれません。


~~しちゃだめ!
~~なこと考える方がおかしい!
~~なんて思っちゃダメ!
・・・・・のように、考えることや、思うことや、想像することさえ、何かに縛られている子どもたちを見ると
私たちおとなは、一体 何のために働いているのだろうか?と思うことがあります。

頭の中さえ、誰かに支配されている子ども
これは笑いごっちゃないですよね。

「今頃の若い人は、我慢ができない」という自分の思い込みを理由に
自分の感情を優先させて、
おとななのに、子どものすこやかな育ちを優先させることができない
これこそが課題なんじゃないかな?

「おとな」な私を大事にしたいです。
「おとな」な私は、小さな人たちが失敗を恐れず、あれやこれやと果敢に挑戦したり
おとなをビビらせるほど、ダイナミックなことを考えたり、やってみようとすることを
笑ったり、苦笑したり、冷や汗かいたり、黙ってフォローをすることなのではないでしょうか。

団塊の世代の人たちは若い頃、
若僧だった10代20代に
おとなに向かって、あるいは大学教授に向かって
「教え方が悪い」「思想がなってない」などと
糾弾したり、授業をボイコットしたり・・・・・・
そんなことを考えることや、やってみようと思えるだけの自由を与えてもらっていたんじゃないかしら。

とても今の子どもたちが、それだけのことを思いつくほど、
自由な時間や、自由な発想を認めらているとは思えないなぁ~・・・


さあっ、わたしも大きな深呼吸をして、大きな空を見て、壮大な夢を見て
そして、今日生きていることに感謝するところからはじめよっと!!






Posted by にじ at 13:40│Comments(0)
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