2011年02月22日

社会体育

いつの頃からか、子どもたちの「遊び」の時間が、社会体育にとって代わりました。
放課後の子どもたちは学童か、習い事か、社会体育です。
体を動かしていることは共通かもしれませんが、その効果は全く違うものです。

特に社会体育は非常に盛んですし、奨励されています。
野球チーム・サッカーチーム・バスケットチーム・バレーチームなどなど。
保護者の応援熱も猛烈だったりしますし、その保護者間のトラブルもよく相談を受けます。

しかし、最も怖いのは保護者の含めて「勝たせたい」「勝って自信につなげたい」という善意が先行して、子どもの発達がやたら無視されてしまったり、試合に出させたい思いが優先されて指導者からの暴力さえも愛情だよ、無視されるよりましだよ、と暴力や性暴力が隠ぺいされていくことです。

体罰は見えている場合が多く、ひどすぎるとか、やりすぎだと言いつつも、だれが指導者に忠告するのかでおとなたちがビビッていることもあります。

ところが、そのような「見える暴力」が容認されている環境の中では時として、子どもたちへの性暴力が行われていることもあります。

かわいいからだよ
お前を見込んでいるからだよ
いやなら辞めればいい
他のヤツを試合には出すから別にいいんだ……などと脅されていたりもします。

もちろん、社会体育で指導している人たちのほとんどは、奉仕的です。
自分の時間を多く子どもたちや地域のために捧げてくれています。
保護者もまた、少ししかない休日を子どものために全力でサポートしてくれています。

それがわかる故に子どもたちは、被害を語れずにいることも忘れないでください。
多くの善意の中に潜んでいる暴力に気づく目をもってください。

そして、海外のように子どもへの暴力は保護者だけがダメなのではなく、すべての人がダメだという制度や法律が必要です。

学校が気がついても社会体育というフィールドに対して、言いづらい状況であることも踏まえて、環境の改善が必要な時期が来ているのではないかと強く思います。

体罰や性被害に遭った子どもたちが共通して語ってくれることがあります。
「スポーツの練習や試合は大好きなのに、練習の時間がくると体調が悪くなる」
「親が一生懸命だから、自分が我慢すればいい」
「本当は吐きたいくらい気持ちが悪いのに、顔は笑顔でいなければならないから、どんどん自分が何かがわからなくなる」と。



Posted by にじ at 01:03│Comments(0)
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