2011年07月27日
子どもの大切な3つの権利

「ねえ、みんなにはどんな大切な権利があると思う?」。そう聞くと、どの年代の子どもたちも生き生きと答えます。
「遅くまで起きている権利」とか「ゲームをし続ける権利」なんて言いません。
にじいろCAPが1996年4月に活動を始めてから、10万人以上の子どもたちに出したこの質問への回答は、「学校に行く権利」「学ぶ権利」「遊ぶ権利」「寝る権利」「家族と暮らす権利」「友だちをつくる権利」「誰かとつながる権利」「失敗する権利」「しゃべる権利」「運動する権利」…などです。
CAPでの子ども自身を対象としたワークショップ(体験型講義)では、その一つ一つの答えが尊重されます。
そして、私たちは、たくさんの権利の中でも特に子どもに大切な三つの権利を伝えます。「安心する権利」「自信を持つ権利」「自由に生きる権利」です。
誰もが嫌なことや怖いことをされたり、暴力を受けたりすると安心、自信、自由を奪われるからです。
誰一人として傷つけられて良い人はありません。特に子どもは、暴力を受けた時点から成長に大きな影響を受けてしまいます。
だからこそ、子どもに特に大切な三つの権利を伝えるのです。
「安心って誰といるとき?」「どこにいると安心?」と尋ねると、教室のあちこちから「家」「学校」「お母さん」「おじいちゃん」「おねえちゃん」「お父さん」などと声が上がります。
しかし、時折、周囲の友達が答えるさまを驚いたように見ている子どもがいます。
一緒にいて安心できる人が具体的に浮かばない、「安心」という言葉に実感が持てない子どももいるのです。
その様子も、また子どもからのメッセージなのです。私たちは、声になる声も、声にならない声も尊重していきます。
ある子どもが語ってくれました。「私は学校の方が安心だよ。だって家ではいっつも誰かが泣いているもの」と。また別の子は言います。「僕はいいんだ。でも弟や妹がたたかれたり蹴られたり、お母さんが泣いたりしているんだ。僕はお母さんを守ってあげられない。だから学校にいても家にいても安心、自信、自由な権利はないんだ」。
言葉を与えられるだけで、子どもたちは語りたいことを、語りたいように、語れるようになる―。この15年間の活動の中から実感したことです。
2011年07月06日
こども園
. 子育て支援:幼保一体で「総合施設」創設…政府中間報告
幼保一体化のイメージ※無認可保育所のうち「こども園」に移ることができるのは国の基準を満たす場合 政府は6日、新たな子育て支援策「子ども・子育て新システム」に関する中間報告をまとめた。幼稚園が担う教育と、保育所の役割である保育を併せて提供する幼保一体化施設「総合施設」の創設が柱。一部を除き、総合施設への移行を望まない幼稚園や、0~2歳児対象の保育所も含め、名称を「こども園」に統一する。定員割れが進む幼稚園を保育所待機児童の受け皿とするほか、企業が運営する保育施設の参入も認めて保育の量の拡大を図り、待機児童の解消を目指す。
来年の通常国会への関連法案提出と13年度の施行を目指している。財源に想定する消費税の増税時期は不透明だ。
当初は幼稚園、保育所を全廃し、幼保を一体化した施設をこども園とする考えだった。だが、幼稚園団体の反発で幼稚園のままこども園に移ることも可能としたほか、大学付属など一部幼稚園はこども園への移行自体を不要とした。経済力のある親向けのいわゆる「ブランド幼稚園」はそのまま存続しそうだ。
さらに乳児受け入れに懸念を示す幼稚園側に配慮し総合施設には0~2歳児の預かりを義務づけず、0~2歳児対象の保育所は保育所のままこども園の指定を受ける。この結果「こども園」と呼ぶ対象は、総合施設と一部幼稚園・保育所のほか、企業や非営利組織(NPO)による保育施設となる。職員の配置など一定の基準を満たせば、無認可保育所もこども園に指定される。
各施設にバラバラに出している補助金は「こども園給付」に一本化する。こども園ではないが、保育士らが少人数の子どもを預かる「保育ママ」や、小規模施設も公費の給付対象とする。補助対象が広がり、現行と同水準の負担で幅広いサービスを受けられる。
政府の試算によると、新システム導入には15年時点で新たに1兆円超の公費を要する。うち0.7兆円は、税と社会保障の一体改革に伴う消費税増税分を充てる意向。一方、子ども手当を含む現行の関連費用(5.2兆円)は、国と地方、事業主の拠出と利用者負担で賄う。負担割合は結論を先送りした。【山崎友記子】
毎日新聞 2011年7月6日 11時55分(最終更新 7月6日 13時30分)
幼保一体化のイメージ※無認可保育所のうち「こども園」に移ることができるのは国の基準を満たす場合 政府は6日、新たな子育て支援策「子ども・子育て新システム」に関する中間報告をまとめた。幼稚園が担う教育と、保育所の役割である保育を併せて提供する幼保一体化施設「総合施設」の創設が柱。一部を除き、総合施設への移行を望まない幼稚園や、0~2歳児対象の保育所も含め、名称を「こども園」に統一する。定員割れが進む幼稚園を保育所待機児童の受け皿とするほか、企業が運営する保育施設の参入も認めて保育の量の拡大を図り、待機児童の解消を目指す。
来年の通常国会への関連法案提出と13年度の施行を目指している。財源に想定する消費税の増税時期は不透明だ。
当初は幼稚園、保育所を全廃し、幼保を一体化した施設をこども園とする考えだった。だが、幼稚園団体の反発で幼稚園のままこども園に移ることも可能としたほか、大学付属など一部幼稚園はこども園への移行自体を不要とした。経済力のある親向けのいわゆる「ブランド幼稚園」はそのまま存続しそうだ。
さらに乳児受け入れに懸念を示す幼稚園側に配慮し総合施設には0~2歳児の預かりを義務づけず、0~2歳児対象の保育所は保育所のままこども園の指定を受ける。この結果「こども園」と呼ぶ対象は、総合施設と一部幼稚園・保育所のほか、企業や非営利組織(NPO)による保育施設となる。職員の配置など一定の基準を満たせば、無認可保育所もこども園に指定される。
各施設にバラバラに出している補助金は「こども園給付」に一本化する。こども園ではないが、保育士らが少人数の子どもを預かる「保育ママ」や、小規模施設も公費の給付対象とする。補助対象が広がり、現行と同水準の負担で幅広いサービスを受けられる。
政府の試算によると、新システム導入には15年時点で新たに1兆円超の公費を要する。うち0.7兆円は、税と社会保障の一体改革に伴う消費税増税分を充てる意向。一方、子ども手当を含む現行の関連費用(5.2兆円)は、国と地方、事業主の拠出と利用者負担で賄う。負担割合は結論を先送りした。【山崎友記子】
毎日新聞 2011年7月6日 11時55分(最終更新 7月6日 13時30分)
2011年07月06日
娘の幸せな顔
娘が彼氏を連れてきました。
ごあいさつを!と彼氏が我が家にやってきました。
兄よりも年上の彼氏がきました。
彼氏の横にすわっている娘がとろけるような笑顔をしていました
相当、幸せそうな顔をしています
そんな娘の顔を見たら、親として、言いようのない幸せな気持ちになりました。
そして、彼氏にものすご~~く感謝したい気持ちになりました。
若い人が幸せな表情をしている姿をみるだけで
こんなに幸せな気持ちにさせてもらえるなんて
もっと私たちは、小さな人や 若い人が 幸せな表情でいられるように
力を注がなくっちゃ!!と 心から思いました。
あんなに悪戦苦闘していた娘ですが・・・・・・
特定の誰かに必要とされている「認められ感」が
あなたを強く賢くするのですね・・・(#^.^#)
とにかく今の幸せな気持ちを 思いっきり十分に味わってほしいと思います。
大きくなった子どもたちが
この社会の一員として、誰かを支えている姿に
親は涙がとまらないほどの誇りと、うれしさを感じます。
だれに感謝したらいいんだろ?
感謝したい人が山のようにいるから・・・
この場をお借りして、ありがとう!!
ごあいさつを!と彼氏が我が家にやってきました。
兄よりも年上の彼氏がきました。
彼氏の横にすわっている娘がとろけるような笑顔をしていました

相当、幸せそうな顔をしています

そんな娘の顔を見たら、親として、言いようのない幸せな気持ちになりました。
そして、彼氏にものすご~~く感謝したい気持ちになりました。
若い人が幸せな表情をしている姿をみるだけで
こんなに幸せな気持ちにさせてもらえるなんて

もっと私たちは、小さな人や 若い人が 幸せな表情でいられるように
力を注がなくっちゃ!!と 心から思いました。
あんなに悪戦苦闘していた娘ですが・・・・・・
特定の誰かに必要とされている「認められ感」が
あなたを強く賢くするのですね・・・(#^.^#)
とにかく今の幸せな気持ちを 思いっきり十分に味わってほしいと思います。
大きくなった子どもたちが
この社会の一員として、誰かを支えている姿に
親は涙がとまらないほどの誇りと、うれしさを感じます。
だれに感謝したらいいんだろ?
感謝したい人が山のようにいるから・・・
この場をお借りして、ありがとう!!
2011年07月03日
宿題を済ませてから遊びましょうね(;一_一)
子どもの語る力に魅せられて早、15年がたち16年目の活動です。
年間約6000人の子どもたちと話をしていると、何とも言えない魅力を感じます。
かれらの見えている世界は、私たちが見えている世界と違うことも多いです。
身長110センチの子どもから見える私たち「おとな」はどんなふうに見えるのでしょうか?
私たちの手の大きさは、幼児期の子どもたちには、どれほど大きく感じるのでしょうか?
思春期の子どもたちには、私たち「おとな」のやっていることと言っていることの矛盾が
どんなふうに見えているのでしょうか?
「わが子に(担任をしている子どもたち)に、どんなおとなになってほしいと
望んでいますか?」という質問を保護者や教職員の方々にぶつけてみるとさまざまです。
・メリハリのつけられる人間になってほしい
・人の気持ちがわかる人になってほしい
・自分で何でもできる人になってほしい
・人の痛みがわかる人になってほしい
・犯罪を犯さない人間になってほしい
・思いやりのある人間になってほしい
・きちんとあいさつのできる人になってほしい
・コミュニケーションが上手な人間になってほしい
・健康でいてほしい
・自立したおとなになってほしい
・きちんと働ける人間になってほしい
・グローバルな人間になってほしい などなど たくさんの希望が出てきます。
私たち「おとな」は、子どもたちに望むだけでなく
子どもたちがなりたい人間になれるために、どんな「おとなの義務」を果たせているのでしょうか?
人に望むだけ望んで
自分は何も動かない、自分を変化させようとしないのは
宿題もせずに遊びほうけているのと同じですよね
私たちは子どもたちに「宿題を済ませてから、遊びなさい」と言っていませんか?
子どもには我慢をしろ!と言いながら、自分は抑えきれない感情を、弱い立場の子どもに叩いてぶつけるってどういうこと
そのくらいのことは自分でしなさい!って、わずか数年しか生きていない子どもには言うのに、自分は「わたしはできませんから」「そんなの苦手ですから」と開きなおるのはどういうこと
「うちの子、何回言ってもわからないんです」と何度も同じやり方しかしていないで文句言っているのはどういうこと
子どもたちが自由に遊びほうけるのは、人間が生きていくのにどうしても必要な時間であり、体を成長させるのにどうしても必要なことなのに、スポーツで勝負させることで遊ばせてあげている気持ちになって、自分たちだけいい気分になっている、ってどういうこと? 人の気持ちを考えろって言っているのに、自分らは自分の気持ちや自分の爽快感だけを優先させるってどういうこと?
いじめはダメだよ!
弱い者いじめはダメだよ!
言い訳するな!と言っているのに
自分たちは、国債を次に大人になる人たちに押し付けて、自分たちの豊かさは手放したくないって
どういうこと? 言い訳言えるの? 言い訳さえできたら何をやってもいいの?
どんなに苦しかろうが、つらかろうが、小さな人たちにはやせ我慢をしてみせてでも
先行きの不安をぶつけないのが、おとなのカッコよさじゃないの?
どうしても避けては通れない難題があるときには、
先に小さな人たちを通してあげるのが おとなじゃないの?
せめて、難題を解決してあげられなかったことを謝るのがおとなじゃないの?
おとなの勝手さに気づきながらも、「結構、一生懸命やってくれているし」と
大目に見ている子どもたちです。
時折、それっておかしいじゃん!!と意思表明をしてくれる子どもに
「反抗期呼ばわり」して「おとなにそんな口のきき方をするなんて100年早い!!」なんて
一生口きくなと言わんばかりの口封じって、公平なことなの?
きっと子どもだから見えるものや、感じるものがあるはずなんです。
子どもの目や耳や口を、おとなの大きな手で塞がないで
さあ・・・あなたの大きな手を、雄弁な口を、そして立派な耳を、
子どもがおおらかに生きていけるようにするために使ってください。
子どもに安心感を与えるような言葉を発信するために、その雄弁さを使ってください。
子どもが何を考え、何に困っているのかを聴くために、立派な耳を使ってください。
おとなたちよ、宿題をしてから遊びましょうね
やることはやってから、人の要求しましょう……。
年間約6000人の子どもたちと話をしていると、何とも言えない魅力を感じます。
かれらの見えている世界は、私たちが見えている世界と違うことも多いです。
身長110センチの子どもから見える私たち「おとな」はどんなふうに見えるのでしょうか?
私たちの手の大きさは、幼児期の子どもたちには、どれほど大きく感じるのでしょうか?
思春期の子どもたちには、私たち「おとな」のやっていることと言っていることの矛盾が
どんなふうに見えているのでしょうか?
「わが子に(担任をしている子どもたち)に、どんなおとなになってほしいと
望んでいますか?」という質問を保護者や教職員の方々にぶつけてみるとさまざまです。
・メリハリのつけられる人間になってほしい
・人の気持ちがわかる人になってほしい
・自分で何でもできる人になってほしい
・人の痛みがわかる人になってほしい
・犯罪を犯さない人間になってほしい
・思いやりのある人間になってほしい
・きちんとあいさつのできる人になってほしい
・コミュニケーションが上手な人間になってほしい
・健康でいてほしい
・自立したおとなになってほしい
・きちんと働ける人間になってほしい
・グローバルな人間になってほしい などなど たくさんの希望が出てきます。
私たち「おとな」は、子どもたちに望むだけでなく
子どもたちがなりたい人間になれるために、どんな「おとなの義務」を果たせているのでしょうか?
人に望むだけ望んで
自分は何も動かない、自分を変化させようとしないのは
宿題もせずに遊びほうけているのと同じですよね

私たちは子どもたちに「宿題を済ませてから、遊びなさい」と言っていませんか?

子どもには我慢をしろ!と言いながら、自分は抑えきれない感情を、弱い立場の子どもに叩いてぶつけるってどういうこと

そのくらいのことは自分でしなさい!って、わずか数年しか生きていない子どもには言うのに、自分は「わたしはできませんから」「そんなの苦手ですから」と開きなおるのはどういうこと

「うちの子、何回言ってもわからないんです」と何度も同じやり方しかしていないで文句言っているのはどういうこと

子どもたちが自由に遊びほうけるのは、人間が生きていくのにどうしても必要な時間であり、体を成長させるのにどうしても必要なことなのに、スポーツで勝負させることで遊ばせてあげている気持ちになって、自分たちだけいい気分になっている、ってどういうこと? 人の気持ちを考えろって言っているのに、自分らは自分の気持ちや自分の爽快感だけを優先させるってどういうこと?
いじめはダメだよ!
弱い者いじめはダメだよ!
言い訳するな!と言っているのに
自分たちは、国債を次に大人になる人たちに押し付けて、自分たちの豊かさは手放したくないって
どういうこと? 言い訳言えるの? 言い訳さえできたら何をやってもいいの?
どんなに苦しかろうが、つらかろうが、小さな人たちにはやせ我慢をしてみせてでも
先行きの不安をぶつけないのが、おとなのカッコよさじゃないの?
どうしても避けては通れない難題があるときには、
先に小さな人たちを通してあげるのが おとなじゃないの?
せめて、難題を解決してあげられなかったことを謝るのがおとなじゃないの?
おとなの勝手さに気づきながらも、「結構、一生懸命やってくれているし」と
大目に見ている子どもたちです。
時折、それっておかしいじゃん!!と意思表明をしてくれる子どもに
「反抗期呼ばわり」して「おとなにそんな口のきき方をするなんて100年早い!!」なんて
一生口きくなと言わんばかりの口封じって、公平なことなの?
きっと子どもだから見えるものや、感じるものがあるはずなんです。
子どもの目や耳や口を、おとなの大きな手で塞がないで

さあ・・・あなたの大きな手を、雄弁な口を、そして立派な耳を、
子どもがおおらかに生きていけるようにするために使ってください。
子どもに安心感を与えるような言葉を発信するために、その雄弁さを使ってください。
子どもが何を考え、何に困っているのかを聴くために、立派な耳を使ってください。
おとなたちよ、宿題をしてから遊びましょうね

やることはやってから、人の要求しましょう……。