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2010年06月25日

親を慕う子どもの気持ち・・・

1997年から、わたしは毎日のように子どもたちに50~90人くらいの子どもたちに接しています。
ただ、接するだけでなく、子どもたちに「安心・自信・自由の権利がある大切な存在なんだよ」と伝えてから、お話をしています。

たくさんの子どもたちの率直な気持ちを聴いてきました。

子どもたちは、親が思う以上に親を愛して愛して愛しています。
親に認められたいばっかりに、どれほど、小さな胸を痛めていることか・・・

親にだって、いろんな言い分があることは、わかります。

ただ、子どもたちが親を慕う気持ちは、そんな言い分なんて吹っ飛ばすくらいの勢いで深く強いものです。

もっともっと、子どもたちの発達を知って、かれらの深く強い気持ちを、知ってほしいと願ってやみません。

ある日、前日にワークショップを受けた小学生が私たちが学校に到着するのを待っていました。 彼に気が付いて「あら?」と声をかけると帽子をとって「昨日はいろいろ教えてくださってありがとうございました。」と一礼をしました。 「昨日は、ご家族にCAPにお話をすることできましたか?」という私の質問に対して・・・
「はい! 自分は家族に大切にされているんだと思えて、安心・自信・自由になりました。うれしかったです。」と。本当にうれしそうでした。・・・さぁ~この子は何年生だと思いますか? 上級生ではありませんよ。彼は、心配をしていました。いつも「もっと頑張れ!」と叱られ、叩かれて気合を入れられて、「自分は親が望む子どもではないではないから、嫌われているのではないか?!」と。 そのことを相談してくれたので、いっしょに考えたんです。家に帰って、自分の気持ちを親に話せたんでしょうね・・・。 うれしい報告でした。もっともっと、彼らの深く強い思いを先生方やおうちの方に知ってほしいし、思いもよらぬところで彼らは引っかかって前進できなくなっているのかを・・・知ってほしいし、大切に思っていることや、彼らにもつらい気持ちがあることを知っていただきたいものです。

  


Posted by にじ at 23:36Comments(0)

2010年06月19日

子どもの発達障害と情緒障害



この本をみなさんに、ご紹介します。

ADHDや アスペルガー症候群や、LDなど子どもの発達障害には
多くの注目が寄せられますが、実は、情緒障害は忘れられガチです。

リンクはしているものも多いですが、こじれた状態が問題です。


そもそも障害という言葉は、英語のdisorderを訳した言葉です。
disとは、乱れた orderとは、秩序とか決まり
つまり、決まりが乱れているとか、凸凹とか、なあんか上手くいっていないとか
という意味です。

それも、定型発達という その時代に社会が求めている発達した姿から想定したdisorder
という意味です。

定型発達そのものが、平均という意味でもないし、普通という意味でもないです。
マジョリティという意味でもありません。

ですから、同じ子どもが どこの社会に属しているかで、disorderになるか
ならないかが、変化してしまうということです。


私が子ども時代には、いろんなタイプの個性的なともだちが いっぱいいましたが、
おとなたちは、さほど、困っていませんでした。


私自身、小学校3年生の頃、チョークで道端に絵を描くことにハマッていました。
後先考えずに、先生たちの教具室からチョークを一箱抱えて帰って、
家路まで2kmほど、絵を描き続けて帰っていました。

夏休みは朝から夕方まで一日中、水道出しっぱなしで、
ホースで水遊びをしていました。
指で水をふれる感触が楽しかったです。

それでも、私はおとなしく一人で遊んでくれる育てやすい子、と
親が見てくれていましたから、ほめられることはあっても
叱られることはありませんでした(笑)。

その子の行動を、どう見るかは、医療現場でどんな診断名をもらうかよりも
重要なことも多いと私は、思うのであります。

ちょっと考えてみませんか?

幼稚園・保育園・小中学校の先生方には1冊、必須の1冊になさってみてくださいねicon91  


Posted by にじ at 03:24Comments(1)

2010年06月12日

素敵な学校

朝倉市杷木町志波の志波小学校にいきました。
子どもの数は減少しつづけ、今年度の入学生は6人でした。
この学校に毎年、通わせてもらってすでに10年以上。


子どもワークショップを通して、毎年、子どもたちと触れるたびに
“人の幸せ”って、こういうことなんだろうな~と考えさせてもらいます。

学校の先生方が子どもたちを見る眼差しは「教師」というより、
「育むおとな」って、感じです。
子どもが転べば、すぐにでも、走りよって助けたい気持ちになるけど
やせ我慢して、見守るというイメージです!

幸福度世界一の国デンマークの小学校は、子ども20人に二人の教師だそうです。
それと同様の環境です。
サルも、燕も、いのししも、たぬきも、鹿も共存している環境の中で
暮らしています。


子どもが何かを閃いたり、うまくやれた!と感じたとき、すぐに、
先生たちとアイコンタクトをとって、ニッコリface15

失敗した! ケンカした! 泣いた!
というときもすぐに、先生たちに目を向けて
『どうしよう?!』
『だって、○○ちゃんが先にしたんだもん…』
『痛い、痛い』・・・・・と目を向けて、優しい眼差しで、よしよしされています。

Attachmentが学校では先生と
Attachmentが、大家族と、知っている大人集団としっかり結ばれている感じです。

とはいえ、いろいろ課題も抱えている子どももいます。
時に我が儘言ったり、ぐずったり、天邪鬼だったりする子ども。

そんな行動をする子どもに対して、またまた、友だちたちがとる行動は、
先生やおうちの人たちと同じ!

叱ったり、怒鳴ったり、指導したりではなく、
やさしくキッパリ、~~だよ!とくり返し、支えてくれるんです。
怒ったり、争いにならない。
すばらしい関係性です。

おとなから 育んでもらったとおりに
お友だちにもできるんですよね・・・・・

私たち、おとなは 生まれて間もない小さい子どもたちに
あまりにもパーフェクトな「成人ぶり」を期待しているようですね。

勝手に期待して、勝手に怒って

勝手にダメなヤツだと見切りをつけて

子どもたちにダメダメイメージをつけてしまう。

その悪循環のようです。

もっともっと、ナチュラルに子どもを育むとはどういうことか
考えたいものです。

  


Posted by にじ at 16:53Comments(0)

2010年06月08日

虐待死ゼロのまち

私たち、NPO法人にじいろCAPは、福岡市子ども虐待防止活動推進委員会の一員として
虐待死ゼロのまちづくりをめざしています。
以下は、そのアピール文です。

「虐待死ゼロのまち」をめざして

アピール

私たちみんなで、何ができるか、学び、話し合い、行動しましょう


虐待による子どもの死亡事件があとを絶ちません。
こんな悲しいまちにしないために、
みんなで、私たちにできるか、考えましょう。

想像してみましょう。
抱きしめてもらいたい母親に、突き放された。その子どもの悲しみ。
ほほえんでもらいたい父親に、置き去りにされた、その子の恐怖を。

耳を傾けてみましょう。
死んでしまったその子が、命をかけて訴えたかったことに。
戦争でもないのに、短い生涯を
終えなければならなった、その子の無念を。

この親と子に、私たちは何ができるか、話し合いましょう。
そして、立ち上がり、できることから
行動しましょう。
市民も、行政も、企業も。そしてメディアも。

あらゆる人に呼びかけます。
「虐待死ゼロのまち」をめざすとりくみに、
どうぞあなたも参加してください。



「子どもが虐待で死ぬときは、子どもも親も社会から見捨てられている。
そこで子どもは、頼る人もなく、過酷な生活に耐え、
力尽きて孤独に命を閉じる。」
(日本子ども虐待防止学会会長 小林美智子)
  


Posted by にじ at 23:49Comments(0)

2010年06月05日

久留米市男女平等推進センター



わたしたちがいつも活動の拠点にしている!・・・といっても過言ではない“久留米市男女平等推進センター”交流スペースの写真です。通称「え~るピア」です。ここが建設されたことで、随分と地元のいろんな活動グループは、活性化しました。


ただ建物があるだけではなく、久留米市男女平等推進センターの職員さんたちが、私たちの活動を理解し、応援してくださっている感じが伝わります。そのことも、活動が活性化する1つの大きな要因になっていると思います。

活動とは、ただ努力すれば上手くいくという話ではなく、環境も大事ですし、交通の利点も大事です。そして、久留米市男女平等推進センターのように行政・人・熱意も含む社会資源も大いに大事な点です。

久留米市男女平等推進センターさん、いつもありがとうございます。

また、名前がいいでしょ? 男女共同参画ではなく、すっきりと目指すは男女平等なんだ!!という名前が。

男女平等だから久留米市男女平等推進センターではなく、結果的男女平等を目指して、それぞれのグループが活動するために集い、その1点で活動を違いを超えてつながりあう場所・中心点がここ久留米市男女平等推進センターなんです。

箱物がバッシングを受ける昨今ですが、単純にダメといえるものではなく、常に道具はそこにいる『人間』の問題のはずです。

どんな目的で使うのか? 
何のためにあるのか? 

運営をするためにあるのではなく、人のためにどんな使いかをするのか、創意工夫があって初めて、ただの箱物が地域をエンパワメントする社会資源になるのではないかな?  


Posted by にじ at 06:22Comments(0)

2010年06月01日

子ども手当てから考える「子ども」

昨日、子ども手当てについて、ニュース特集が組まれていました。

東京都足立区にある児童養護施設「クリスマスヴィレッジ」という施設で、園長が「子ども手当て」が入所している67人中6人にだけ子どもに(施設管理者を通して)渡されることや、他の子どもたちは、別に暮らしている親に渡されることなど、詳しく正確に情報を入所児童に対して、伝えてありました。

それらの情報を基に、子どもたちが一生懸命に考えている姿が映し出されていました。
この事実を自分なりに消化しようと、子ども同士で話していました。

それらの映像を見て、わたしも考えました。

子ども手当てが未整備な中で配布されることが問題なのではなく、子どもというだけで「受け止めることができない存在」だとか、「何も考えていない存在」などと決め付けてしまって、当事者である子どもたちに情報を渡さない「おとな」の態度の方が理不尽な行動なんだなと、考えました。

子どもたちは決して非力だったり、無力だったりはしません。
ただおとなが情報を渡さないことで、自分の力で乗りこえるチャンスを奪われてしまいます。
秘密にされてしまっては、何を乗り越えたらいいのかさえ、わかりません。


自分がなぜ、児童養護施設に入所しているのか?
自分はどのくらいの期間、ここにいると想定されているのか?
今、自分の親はどんなことを考えているのか?・・・後見人さんや、児童相談所職員さんや、自分を見守ってくれる人たちがどんな考えで自分をみつめてくれているのか、知ることが信頼の第一歩ですよね。


NPO法人にじいろCAPでは、児童養護施設や情緒障害児短期治療施設でCAPプログラムを実施しています。子どもたちの知る権利を、どのくらい意識してワークショップを展開できているでしょうか。

もう一度、確認しあいたいと思いました。

追伸:「CAPを続ける理由」に記載した写真は、5月29日(土)に兵庫県西宮市市民交流センターでおこなわれた「NPO法人CAPセンター・JAPAN2010年度総会」会場に貼られた、CAPグループで使用している安心・自信・自由のボードです。  


Posted by にじ at 18:52Comments(1)