2012年02月29日
ボヤキ
春を目前にしての雪景色
寒いけれども、暖かい日がもうすぐそこにまで来ている喜びも感じます
私たち「NPO法人にじいろCAP」がやっている仕事は、形になって見えるものを生産しているわけではないので、時々、わけもなく『こんなことをやっていても世の中がわかるわけじゃないし』とか、『自分たちがやらなくても~』という弱気な気持ちになることもあります
でも、そのたびに10年前と比べてみて考え直すことにしています。
活動を始めた頃には、「虐待なんてこの辺りには関係がありません」「子どもに人権なんて言うとワガママになるだけ」とか「親の問題だから~」とか言われていたものです。
そのころを思えば、まだまだとは言うものの随分と進んだと思います。虐待はどこにもあるもの、と認知されました。それはいじめもまた同じです。
各市区町村で行われる人権講座に、高齢者や障がい者、部落差別の問題、女性問題はあっても、子どもというテーマは以前はあまりありませんでした。
長い歴史の中で生まれた問題を、自分がちょっと実践したからといって「誰もわかってくれない」となげいてみたり、憂いてみたりってかなりおこがましい気がします。
私が持っている石を1つ1つ運んでいるうちに、何かができるのかもしれませんし、できないのかもしれません。それでも何かを作ろうと運び続けることだろうし、ともに運んでくれる仲間をつくっていくことなのかな~と思います。
焦りすぎてもいけないし、急がないのも子どもたちに申し訳ないし。
そんなことをツラツラと考える4年に1度のうるう年29日でした
寒いけれども、暖かい日がもうすぐそこにまで来ている喜びも感じます

私たち「NPO法人にじいろCAP」がやっている仕事は、形になって見えるものを生産しているわけではないので、時々、わけもなく『こんなことをやっていても世の中がわかるわけじゃないし』とか、『自分たちがやらなくても~』という弱気な気持ちになることもあります

でも、そのたびに10年前と比べてみて考え直すことにしています。
活動を始めた頃には、「虐待なんてこの辺りには関係がありません」「子どもに人権なんて言うとワガママになるだけ」とか「親の問題だから~」とか言われていたものです。
そのころを思えば、まだまだとは言うものの随分と進んだと思います。虐待はどこにもあるもの、と認知されました。それはいじめもまた同じです。
各市区町村で行われる人権講座に、高齢者や障がい者、部落差別の問題、女性問題はあっても、子どもというテーマは以前はあまりありませんでした。
長い歴史の中で生まれた問題を、自分がちょっと実践したからといって「誰もわかってくれない」となげいてみたり、憂いてみたりってかなりおこがましい気がします。
私が持っている石を1つ1つ運んでいるうちに、何かができるのかもしれませんし、できないのかもしれません。それでも何かを作ろうと運び続けることだろうし、ともに運んでくれる仲間をつくっていくことなのかな~と思います。
焦りすぎてもいけないし、急がないのも子どもたちに申し訳ないし。
そんなことをツラツラと考える4年に1度のうるう年29日でした

Posted by にじ at
17:11
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2012年02月11日
怒りって、どこから来るのか?
人間関係はむずかしい……
でも、愉しいこともいっぱいある。
人間関係をまずくしちゃうのは、怒り。
じゃあ、その怒りってどこから来るのかしら?!
さみしさ・みじめさ・悔しさ・恨めしさ・うらやましさ……
誰かとの比較・理解されないむなしさ・思い通りにならないもどかしさ
・虐げられた無力感……
いろいろなモヤモヤや、イライラ、チクチク、ドキドキ、ハラハラ……
そんな情動が複雑に絡みあい、力の不均衡を利用して
暴力という手段で出てくる。
「~~なことをするなんて、ちょっとくらい痛い目に合わせなきゃ、
わからないんだ。このくらい傷つけたって仕方ないさ!」と正当化してしまう。
あるいは、後から正当化する。
これは別段、非常に困った人だけに起きることではない。
だれにでも起きている。
この怒りになる前の情動や感情に注目することが大事だ。
怒りになる前の自分の情動や感情を、自分で認知したり、
他者からフィードバックしてもらったりして、コントロールできるような援助が必要だな。
そういう意味でも、仲間は本当に大切。
「イライラしてるね」「今日は、なんだかトゲトゲしいよ」なんて
言ってくれる仲間がいるグループや組織は、
いろいろあってもピンチをチャンスに替えられる。
怒りが悪いわけではないが、怒りを無視したり、過小評価するとこじれる。
怒りをぶつけたり、表しやすい方に噴射しそうになったら、
もっと深いところに、怒りの素があるんじゃないかと
自分をいとおしく眺める時間と振り返る手間が必要なんじゃないかなぁ~(゜_゜>)
でも、愉しいこともいっぱいある。
人間関係をまずくしちゃうのは、怒り。
じゃあ、その怒りってどこから来るのかしら?!
さみしさ・みじめさ・悔しさ・恨めしさ・うらやましさ……
誰かとの比較・理解されないむなしさ・思い通りにならないもどかしさ
・虐げられた無力感……
いろいろなモヤモヤや、イライラ、チクチク、ドキドキ、ハラハラ……
そんな情動が複雑に絡みあい、力の不均衡を利用して
暴力という手段で出てくる。
「~~なことをするなんて、ちょっとくらい痛い目に合わせなきゃ、
わからないんだ。このくらい傷つけたって仕方ないさ!」と正当化してしまう。
あるいは、後から正当化する。
これは別段、非常に困った人だけに起きることではない。
だれにでも起きている。
この怒りになる前の情動や感情に注目することが大事だ。
怒りになる前の自分の情動や感情を、自分で認知したり、
他者からフィードバックしてもらったりして、コントロールできるような援助が必要だな。
そういう意味でも、仲間は本当に大切。
「イライラしてるね」「今日は、なんだかトゲトゲしいよ」なんて
言ってくれる仲間がいるグループや組織は、
いろいろあってもピンチをチャンスに替えられる。
怒りが悪いわけではないが、怒りを無視したり、過小評価するとこじれる。
怒りをぶつけたり、表しやすい方に噴射しそうになったら、
もっと深いところに、怒りの素があるんじゃないかと
自分をいとおしく眺める時間と振り返る手間が必要なんじゃないかなぁ~(゜_゜>)
Posted by にじ at
19:58
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2012年02月05日
津崎哲郎先生
津崎先生が昨日、久留米市に来てくださいました。
淡々と35年間の児童相談所職務の中で培われたスキルと基本的な考え方を教えてもらいました。
私たちも読むことができる児童虐待防止法ですが、その読み解き方を津崎先生に語ってもらうことで
こんなにも勇気と、ひらめきが得られるなんて!
子どもの育ちを阻害するものを、どうやって、なるべくよい環境にできるのか? いや、できるかどうかよりも、したいと思っているのか? という部分が見えた気がしました。
これが2月18日の西澤哲先生に、より深くつないでもらおうと思います。
援助者の相手の懐に入るような「大阪のオバちゃん」形式で関わることを大事にしよう!!
淡々と35年間の児童相談所職務の中で培われたスキルと基本的な考え方を教えてもらいました。
私たちも読むことができる児童虐待防止法ですが、その読み解き方を津崎先生に語ってもらうことで
こんなにも勇気と、ひらめきが得られるなんて!
子どもの育ちを阻害するものを、どうやって、なるべくよい環境にできるのか? いや、できるかどうかよりも、したいと思っているのか? という部分が見えた気がしました。
これが2月18日の西澤哲先生に、より深くつないでもらおうと思います。
援助者の相手の懐に入るような「大阪のオバちゃん」形式で関わることを大事にしよう!!
Posted by にじ at
10:31
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2012年02月01日
女性解放運動・子どもの権利擁護
最近、思うに……
女性や子どもが、女性というだけで
子どもというだけで、差別を受ける、暴力を受ける、暴力を受けても小さく見積もられたり、
なかったことにされたりって理不尽だ!と、18世紀以来、リベラルフェミニズム・ラディカルフェミニズムと多くの人たちが、理不尽なものに運動を起こしてきました。
何を言いたいか、と言いますと……
わたしの周りにいる人たちだけ見ても、
いつの間にか、親の介護や、自分が介護される立場になった時のために
働いたり、活動をしたり、し始めるわけです。
数十年前だったら、子どものことというとPTA活動など
各地で盛んに行われたいましたし、
母親と女性教師の会などは第二次世界大戦に子どもたちを
自ら送り出したことへの痛手から、二度と子どもたちを
戦争に送り出すまい、と各地で人たちが熱心に活動をしていました。
ところが、今は子育て世代は非常に孤立をしています。
おまけに専業主婦は少ないし、専業主婦も忙しいし、
さらには、子どもの人数が少ないですから
子どものことに携わっている人たちが少ない。
さらにさらに、子どものことに携わっていた人たちが
だんだんと、介護のことをやりだす時代です。
上野千鶴子さんも「おひとりさま」の時代
落合恵子さんも女性センターに呼ばれてたくさんの集客効果をお持ちですが
話す内容は、お母様の介護から得られたお話。
その話はすばらしいものですが、女性運動=介護の話に終わっていいのでしょうか?
いつになったら、人間という人生の「初めの段階」は、子ども時代だと
みんなは気づいてくれるのでしょうか?
ずっと「おとな」だったような気になって、みんなが介護のことを
気にして生きているような気になってしまっているんじゃないかな?
と少々、気をもんでいます、わたし。
おそらく自らも親の介護や、パートナーの介護に時間を割かれることが
もう、そこまで来ていることはわかっているんです。
それでも介護は社会化されました(十分じゃないけど)。
でもね、介護するのも、介護の必要な費用を負担するのも
今を生きている子どもたちですよ。
思うように生きて、子どもたちに借金だけ残すような
時代にならないようにしたいな~と
私は死にゆくその日まで、子どもの権利擁護に
私、という存在をかけたいと誓うのでありました。
女性や子どもが、女性というだけで
子どもというだけで、差別を受ける、暴力を受ける、暴力を受けても小さく見積もられたり、
なかったことにされたりって理不尽だ!と、18世紀以来、リベラルフェミニズム・ラディカルフェミニズムと多くの人たちが、理不尽なものに運動を起こしてきました。
何を言いたいか、と言いますと……
わたしの周りにいる人たちだけ見ても、
いつの間にか、親の介護や、自分が介護される立場になった時のために
働いたり、活動をしたり、し始めるわけです。
数十年前だったら、子どものことというとPTA活動など
各地で盛んに行われたいましたし、
母親と女性教師の会などは第二次世界大戦に子どもたちを
自ら送り出したことへの痛手から、二度と子どもたちを
戦争に送り出すまい、と各地で人たちが熱心に活動をしていました。
ところが、今は子育て世代は非常に孤立をしています。
おまけに専業主婦は少ないし、専業主婦も忙しいし、
さらには、子どもの人数が少ないですから
子どものことに携わっている人たちが少ない。
さらにさらに、子どものことに携わっていた人たちが
だんだんと、介護のことをやりだす時代です。
上野千鶴子さんも「おひとりさま」の時代
落合恵子さんも女性センターに呼ばれてたくさんの集客効果をお持ちですが
話す内容は、お母様の介護から得られたお話。
その話はすばらしいものですが、女性運動=介護の話に終わっていいのでしょうか?
いつになったら、人間という人生の「初めの段階」は、子ども時代だと
みんなは気づいてくれるのでしょうか?
ずっと「おとな」だったような気になって、みんなが介護のことを
気にして生きているような気になってしまっているんじゃないかな?
と少々、気をもんでいます、わたし。
おそらく自らも親の介護や、パートナーの介護に時間を割かれることが
もう、そこまで来ていることはわかっているんです。
それでも介護は社会化されました(十分じゃないけど)。
でもね、介護するのも、介護の必要な費用を負担するのも
今を生きている子どもたちですよ。
思うように生きて、子どもたちに借金だけ残すような
時代にならないようにしたいな~と
私は死にゆくその日まで、子どもの権利擁護に
私、という存在をかけたいと誓うのでありました。
Posted by にじ at
20:59
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2012年02月01日
津崎哲郎先生が久留米に来るよ!
子ども理解を深めるための連続講座の第2弾、京都花園学園大学の津崎先生が来てくださいます。終了後も主催者とゆっくりと話せる時間を作ってくださったので本当に安心です。
今回は、虐待かも?と思って関係機関に相談しても、その9割が在宅支援になるわけですから、そのあと、どのように「見守る」のかについて詳しくお話をしてほしいと津崎先生、第3弾の西澤先生にお願いをしています。
よくこんなことが家庭の中での笑い話にありませんか?
「ちょっと、手が離せないから、お鍋の火加減を見ておいてね!」
「は~い!」
…………
「あれ!焦げてるじゃん??!」
「だって、見ておいてって頼まれたから、見てたんだよ」
(;一_一) (意味ないじゃん)~~~なんて笑いえる話はいいのですが。
こんなことが虐待通告の後にも起きてしまうわけです。
見守るって何を見守るのか?
どこを観察すべきなのか?
だれが責任を持って見守るのか?
何か、積極的に動くべきなのか? 介入すべきではないのか?
だれが責任をもってプランを立てているのか? 建てられていないのか?そんなことを学ぶチャンスになればと期待をしています、。
皆様もぜひ、お越しください。
CAP活動を通して、早い段階で●●●な部分が心配です。根拠は△△△です。もし、~~な風なことが見受けられたらすぐに◆◆◆などの関係機関にご相談くださいね!とお願いをしてきますが。
そんなふうにお願いをしてきた子どもたちが、何らか風の噂で、大変な状況に追い込まれていることなどを見聞きすると、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまいます。
もっと私たちに力があれば、もっと真剣に聞いてもらえたのではないか?とか
もっと危機感を伝えることが上手だったら?とk
私たちはCAP活動に誇りを持って伝えています。
もしも、もっと行政と協働で手を組みながら実践できていれば、違ったかもしれない……
そんな気持ちを持ちながら、日々、子どもたちにとっては愉快な時間になるようにと
務めているし、そのように伝えられるようにグループ内の研修や気持ちの共有に努めてはいます。
どうぞ「子ども」は、「おとな」とは違うということ
子どもには「守られている実感」が必要であること
思い出してください。そんな2月4日の研修になることでしょう。お待ちしています<(_ _)>
今回は、虐待かも?と思って関係機関に相談しても、その9割が在宅支援になるわけですから、そのあと、どのように「見守る」のかについて詳しくお話をしてほしいと津崎先生、第3弾の西澤先生にお願いをしています。
よくこんなことが家庭の中での笑い話にありませんか?
「ちょっと、手が離せないから、お鍋の火加減を見ておいてね!」
「は~い!」
…………
「あれ!焦げてるじゃん??!」
「だって、見ておいてって頼まれたから、見てたんだよ」
(;一_一) (意味ないじゃん)~~~なんて笑いえる話はいいのですが。
こんなことが虐待通告の後にも起きてしまうわけです。
見守るって何を見守るのか?
どこを観察すべきなのか?
だれが責任を持って見守るのか?
何か、積極的に動くべきなのか? 介入すべきではないのか?
だれが責任をもってプランを立てているのか? 建てられていないのか?そんなことを学ぶチャンスになればと期待をしています、。
皆様もぜひ、お越しください。
CAP活動を通して、早い段階で●●●な部分が心配です。根拠は△△△です。もし、~~な風なことが見受けられたらすぐに◆◆◆などの関係機関にご相談くださいね!とお願いをしてきますが。
そんなふうにお願いをしてきた子どもたちが、何らか風の噂で、大変な状況に追い込まれていることなどを見聞きすると、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまいます。
もっと私たちに力があれば、もっと真剣に聞いてもらえたのではないか?とか
もっと危機感を伝えることが上手だったら?とk
私たちはCAP活動に誇りを持って伝えています。
もしも、もっと行政と協働で手を組みながら実践できていれば、違ったかもしれない……
そんな気持ちを持ちながら、日々、子どもたちにとっては愉快な時間になるようにと
務めているし、そのように伝えられるようにグループ内の研修や気持ちの共有に努めてはいます。
どうぞ「子ども」は、「おとな」とは違うということ
子どもには「守られている実感」が必要であること
思い出してください。そんな2月4日の研修になることでしょう。お待ちしています<(_ _)>
Posted by にじ at
20:37
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