2010年09月22日

暴力は二次被害が怖い

暴力にはさまざまなものがあります。

殴る・蹴る・叩く・刺す・殺す……

言葉によって傷つけることもあります。「うざい」「消えろ」「死ね」

笑いによって力を奪い続けることもあります。何もしてないって言うかもしれないけど、クスッと笑ったそのタイミングと、目くばせで、自分がいてはいけない人間のように感じさせられることもあります。

無視されたり、シカトされたり、スルーされたり。

何をされたのか?と聞かれると答えられない。

だから「どんな気持ちになったのか?」と聴いてほしい。

暴力は、力の不均衡の中で巧みに人をコントロールしている。

だから、誰が誰に何をどのくらいやったのか?と聴かれても、被害者には孤立感が深まることはあっても

援助されているようには感じない。むしろ、援助に応えられない自分を責めてしまう。

第三者が中立的に聴こうとすると、すでに第三者は加害者の言い分に惑わされている。

言い分は関係がない。どんなことが起ころうとも、誰かを傷つけるようなやり方が間違っているのだから。

ところが、両者の言い分を中立的に聴いて、どちらが正しいのか判断しようとする。

それこそが加害者が強いる沈黙なのだ。


わたしにできること。

それはただ、ただ、当事者の気持ちを聴くこと。

自分の思い込みや、自分の感情を脇に置いて、当事者の気持ちを聴いてみること。

何を悲しみ、何に困惑し、どのくらい日常生活を奪われているのか。

傷ついた人間に、もうそれ以上、何も望まないで。

傷ついているのだから、十分に休ませて。

傷ついた人に後始末までさせないで。


暴力は、加害者だけでは作り出せない。

加害者の言動を寛容な態度で許している自分たちがいないだろうか。





Posted by にじ at 20:26│Comments(0)
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