2010年10月27日

描こう!くるめの未来予想図

第5回 くるめ子ども。子育てフォーラムが開催されます。基調講演は「子育てがんばりすぎていませんか」~児童虐待を防ぐ~というテーマで、フリーライターの北村年子さんです。13:15-14:15え~るピア視聴覚ホールです。

その後14:40-15:30に「NPO法人にじいろCAP」重永がコーディネートをして「子育て支援から考える虐待防止」をします。コメンテーターは、北村年子さんです。

ひとりでも多くの方に来ていただきたいです。実行委員会方式でがんばっていらっしゃいます。チラシや、準備も手作りな感じです。それゆえに、市民が虐待?!?という感覚からスタートしている啓発運動とも言えると思います。

ところで・・・虐待という文字ってちょっとキツイなぁ~と思いませんか?虐待の虐という文字をみて連想するものは、「虐殺」「自虐」「残虐」などですよね。なんだか、こんな文字イメージで「あなたのやっていることは、虐待よ!」と言われたら、かなりドキっとしませんか?

しかし、本来の意味は「maltreatment」です。不適切なかかわり方とでもいいましょうか。トレートメントつまりお世話が適切ではない、という感じです。そもそも国際的(ISCCA)には保護者からの虐待と限定をしていませんから、家庭内だけでなく、地域の社会体育や学校や宗教団体や児童養護施設などにおいても、群衆と対象にしたコマーシャルや仕組みについても同じようにマルトリートメントだよ!と認識するのです。認識のための言葉でもあります。

また、家庭内でのmaltreatmentには「child abuse」&「neglect」があります。abuseは、ab-useと区切ることができます。abは、ラテン語でawayの意味がありますから、隔たりや離れているという意味になります。つまり本来の使い方から隔たっているということになりますし、drug abuse、sexual abuseなど薬物乱用や性的乱用ということで、子どもという存在を乱用しているということになります。

そんな認識を助ける言葉が、人々の気づきをもたらして、人々の気づきが法律や制度になれば改めて公式化され、統計や対策になり予算化され、人的パワーが得られます。すると、それらがその時代の常識になってくるのです。

今、私たちが11月に児童虐待防止月間をきっかけにさまざまな仕掛けを用意して、一人一人に働きかけるのはいずれ、子どもたちがおとなとなって子育てをしていくときに、常識として「子どもの人権」が大事にされ、子ども差別が減少していることを願ってのことです。

決して、おとなにはしない言動も子どもに対してなら許されるのでれば、それは差別です。
子どもなら仕方ない
子どものくせに
子どもなんだから
……と、まだ数年間しか生きていない人たちに対して手を挙げることや、無視することや、いい加減にしか対応をしなくてもよいという感覚は、差別以外のなにものでもないと思います。

ある子どもが言っていました。
自分がいるから、親が幸せそうじゃない
自分が生きていることが間違いじゃないだろうか
そう思うとどこにも居場所がない
自分ってキモイでしょ?……と。

こう話してくれた「その子」は決して、かわいそうに見えるような態度はとりません。悪さもします。悪態もつきます。ヘラヘラもしています。そんな彼らの態度を見て、「こんな子どもだからだよ!」と言いたくなる人もいるかもしれません。
でも、それは違います。
絶対に、違います。

子ども「が」問題なのではありません。
保護者「が」問題なのではありません。
子どもや保護者の周りに問題が起こっている、ということなんです。

子どもを見ている地域こそがが大切です。
彼らが一番大切にしている保護者を、周囲の大人が大事に尊重して接していれば
そこまでの疎外感を子どもは持たずにすみます。
子どもにとって一番つらいのは、保護者がつらそうなことです。(詳細は「さくらんぼプログラムテキスト」をご覧ください)


私たちは「人」に一貫して丁寧に接することなんだなと子どもたちに日々、教えられます。


Posted by にじ at 21:30│Comments(0)
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