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2011年09月18日

子育て支援

子育て支援が全国で展開されています。

特に11月には虐待防止月間なのであちらこちらでイベントが開かれます。

ある行政から委託されたイベント業者から当グループに相談がありました。

行政に丸投げされたイベント業者は、虐待の専門家ではありません(当然です)。

どんなふうにやってほしい、という要求もないのだそうですicon41

手さぐりでやっている様子でした。

理念があるわけではないのだそうです。

各部署から、〇〇をしたらいいね! △△もどこかでやっていたよ!

などのアイディアは出されるが全体として、

行政が子育てに責任や役割をどう果たしたいかはない・・・と。

最近、イクメンを売りにしている芸能人のパパをお願いしたいけど

ギャラが合うかどうか・・・・とか。

子どもが演じる舞台

親子料理教室とか・・・・・・。

確かに大切な税金を使うのですから競争見積もり(入札)を

行ったらしいけど、ビジョンのない税金の使い方って

それはもう政治ではありません。

政治って何を先に手を付けていくのか優先順位をつけるかが

政治力なんだろうに。

ということは……私たちのような専門性を持ったNPO法人が

入札に絡んで、ビジョンをプレゼンできるようになる力が

必要なんだな~と思ったところでした。

今後は、そのような業者とコラボして実のあるお金の

使い方に、社会に貢献しようね!と打ち合わせしたのでしたicon59

理念・企画は専門性を持ったNPOが!

運営はイベント業者が!

お金は行政が…なのかな?

いやはや・・・市民の皆さん、あなたの住んでいる行政は、どんな

お金の使い方をしているのか見ていてください。

それが賢い市民であり、自立したおとなの姿のは・・・ず・・・


  


Posted by にじ at 20:08Comments(0)

2011年07月27日

子どもの大切な3つの権利

西日本新聞「くらし特報」に8回連載しました。タイトル名は「小さな胸の中に」です。改めて新聞は読み逃したという方のために「NPO法人にじいろCAP代表重永侑紀」の原稿を掲載いたします。この記事に託した気持ちは、子どもたちはどんなに小さな年齢であっても、聴くおとながいてくれればさまざまなことを語る力を持っているし、非常に社会を地上110センチのところからよく見ていることをお伝えしたく書きました。子どもは決して無力ではない、そう感じているのです。

「ねえ、みんなにはどんな大切な権利があると思う?」。そう聞くと、どの年代の子どもたちも生き生きと答えます。
「遅くまで起きている権利」とか「ゲームをし続ける権利」なんて言いません。
にじいろCAPが1996年4月に活動を始めてから、10万人以上の子どもたちに出したこの質問への回答は、「学校に行く権利」「学ぶ権利」「遊ぶ権利」「寝る権利」「家族と暮らす権利」「友だちをつくる権利」「誰かとつながる権利」「失敗する権利」「しゃべる権利」「運動する権利」…などです。
CAPでの子ども自身を対象としたワークショップ(体験型講義)では、その一つ一つの答えが尊重されます。
そして、私たちは、たくさんの権利の中でも特に子どもに大切な三つの権利を伝えます。「安心する権利」「自信を持つ権利」「自由に生きる権利」です。
誰もが嫌なことや怖いことをされたり、暴力を受けたりすると安心、自信、自由を奪われるからです。
誰一人として傷つけられて良い人はありません。特に子どもは、暴力を受けた時点から成長に大きな影響を受けてしまいます。
だからこそ、子どもに特に大切な三つの権利を伝えるのです。
「安心って誰といるとき?」「どこにいると安心?」と尋ねると、教室のあちこちから「家」「学校」「お母さん」「おじいちゃん」「おねえちゃん」「お父さん」などと声が上がります。
しかし、時折、周囲の友達が答えるさまを驚いたように見ている子どもがいます。
一緒にいて安心できる人が具体的に浮かばない、「安心」という言葉に実感が持てない子どももいるのです。
その様子も、また子どもからのメッセージなのです。私たちは、声になる声も、声にならない声も尊重していきます。
ある子どもが語ってくれました。「私は学校の方が安心だよ。だって家ではいっつも誰かが泣いているもの」と。また別の子は言います。「僕はいいんだ。でも弟や妹がたたかれたり蹴られたり、お母さんが泣いたりしているんだ。僕はお母さんを守ってあげられない。だから学校にいても家にいても安心、自信、自由な権利はないんだ」。
言葉を与えられるだけで、子どもたちは語りたいことを、語りたいように、語れるようになる―。この15年間の活動の中から実感したことです。  


Posted by にじ at 07:08Comments(0)子育て

2011年07月06日

こども園

. 子育て支援:幼保一体で「総合施設」創設…政府中間報告

幼保一体化のイメージ※無認可保育所のうち「こども園」に移ることができるのは国の基準を満たす場合 政府は6日、新たな子育て支援策「子ども・子育て新システム」に関する中間報告をまとめた。幼稚園が担う教育と、保育所の役割である保育を併せて提供する幼保一体化施設「総合施設」の創設が柱。一部を除き、総合施設への移行を望まない幼稚園や、0~2歳児対象の保育所も含め、名称を「こども園」に統一する。定員割れが進む幼稚園を保育所待機児童の受け皿とするほか、企業が運営する保育施設の参入も認めて保育の量の拡大を図り、待機児童の解消を目指す。

 来年の通常国会への関連法案提出と13年度の施行を目指している。財源に想定する消費税の増税時期は不透明だ。

 当初は幼稚園、保育所を全廃し、幼保を一体化した施設をこども園とする考えだった。だが、幼稚園団体の反発で幼稚園のままこども園に移ることも可能としたほか、大学付属など一部幼稚園はこども園への移行自体を不要とした。経済力のある親向けのいわゆる「ブランド幼稚園」はそのまま存続しそうだ。

 さらに乳児受け入れに懸念を示す幼稚園側に配慮し総合施設には0~2歳児の預かりを義務づけず、0~2歳児対象の保育所は保育所のままこども園の指定を受ける。この結果「こども園」と呼ぶ対象は、総合施設と一部幼稚園・保育所のほか、企業や非営利組織(NPO)による保育施設となる。職員の配置など一定の基準を満たせば、無認可保育所もこども園に指定される。

 各施設にバラバラに出している補助金は「こども園給付」に一本化する。こども園ではないが、保育士らが少人数の子どもを預かる「保育ママ」や、小規模施設も公費の給付対象とする。補助対象が広がり、現行と同水準の負担で幅広いサービスを受けられる。

 政府の試算によると、新システム導入には15年時点で新たに1兆円超の公費を要する。うち0.7兆円は、税と社会保障の一体改革に伴う消費税増税分を充てる意向。一方、子ども手当を含む現行の関連費用(5.2兆円)は、国と地方、事業主の拠出と利用者負担で賄う。負担割合は結論を先送りした。【山崎友記子】

毎日新聞 2011年7月6日 11時55分(最終更新 7月6日 13時30分)

  


Posted by にじ at 16:18Comments(0)子育て

2011年07月06日

娘の幸せな顔

娘が彼氏を連れてきました。
ごあいさつを!と彼氏が我が家にやってきました。
兄よりも年上の彼氏がきました。

彼氏の横にすわっている娘がとろけるような笑顔をしていましたicon06
相当、幸せそうな顔をしていますicon06

そんな娘の顔を見たら、親として、言いようのない幸せな気持ちになりました。
そして、彼氏にものすご~~く感謝したい気持ちになりました。

若い人が幸せな表情をしている姿をみるだけで
こんなに幸せな気持ちにさせてもらえるなんてicon01

もっと私たちは、小さな人や 若い人が 幸せな表情でいられるように
力を注がなくっちゃ!!と 心から思いました。

あんなに悪戦苦闘していた娘ですが・・・・・・
特定の誰かに必要とされている「認められ感」が
あなたを強く賢くするのですね・・・(#^.^#)

とにかく今の幸せな気持ちを 思いっきり十分に味わってほしいと思います。

大きくなった子どもたちが 
この社会の一員として、誰かを支えている姿に
親は涙がとまらないほどの誇りと、うれしさを感じます。

だれに感謝したらいいんだろ?
感謝したい人が山のようにいるから・・・
この場をお借りして、ありがとう!!  


Posted by にじ at 14:04Comments(0)子育て

2011年07月03日

宿題を済ませてから遊びましょうね(;一_一)

子どもの語る力に魅せられて早、15年がたち16年目の活動です。

年間約6000人の子どもたちと話をしていると、何とも言えない魅力を感じます。

かれらの見えている世界は、私たちが見えている世界と違うことも多いです。

身長110センチの子どもから見える私たち「おとな」はどんなふうに見えるのでしょうか?

私たちの手の大きさは、幼児期の子どもたちには、どれほど大きく感じるのでしょうか?

思春期の子どもたちには、私たち「おとな」のやっていることと言っていることの矛盾が

どんなふうに見えているのでしょうか?

「わが子に(担任をしている子どもたち)に、どんなおとなになってほしいと

望んでいますか?」という質問を保護者や教職員の方々にぶつけてみるとさまざまです。

・メリハリのつけられる人間になってほしい
・人の気持ちがわかる人になってほしい
・自分で何でもできる人になってほしい
・人の痛みがわかる人になってほしい
・犯罪を犯さない人間になってほしい
・思いやりのある人間になってほしい
・きちんとあいさつのできる人になってほしい
・コミュニケーションが上手な人間になってほしい
・健康でいてほしい
・自立したおとなになってほしい
・きちんと働ける人間になってほしい
・グローバルな人間になってほしい などなど たくさんの希望が出てきます。

私たち「おとな」は、子どもたちに望むだけでなく
子どもたちがなりたい人間になれるために、どんな「おとなの義務」を果たせているのでしょうか?

人に望むだけ望んで
自分は何も動かない、自分を変化させようとしないのは
宿題もせずに遊びほうけているのと同じですよねicon60

私たちは子どもたちに「宿題を済ませてから、遊びなさい」と言っていませんか?icon59

子どもには我慢をしろ!と言いながら、自分は抑えきれない感情を、弱い立場の子どもに叩いてぶつけるってどういうことicon66

そのくらいのことは自分でしなさい!って、わずか数年しか生きていない子どもには言うのに、自分は「わたしはできませんから」「そんなの苦手ですから」と開きなおるのはどういうことface07

「うちの子、何回言ってもわからないんです」と何度も同じやり方しかしていないで文句言っているのはどういうことicon198

子どもたちが自由に遊びほうけるのは、人間が生きていくのにどうしても必要な時間であり、体を成長させるのにどうしても必要なことなのに、スポーツで勝負させることで遊ばせてあげている気持ちになって、自分たちだけいい気分になっている、ってどういうこと? 人の気持ちを考えろって言っているのに、自分らは自分の気持ちや自分の爽快感だけを優先させるってどういうこと?

いじめはダメだよ!
弱い者いじめはダメだよ!
言い訳するな!と言っているのに
自分たちは、国債を次に大人になる人たちに押し付けて、自分たちの豊かさは手放したくないって
どういうこと? 言い訳言えるの? 言い訳さえできたら何をやってもいいの?

どんなに苦しかろうが、つらかろうが、小さな人たちにはやせ我慢をしてみせてでも
先行きの不安をぶつけないのが、おとなのカッコよさじゃないの?

どうしても避けては通れない難題があるときには、
先に小さな人たちを通してあげるのが おとなじゃないの?
せめて、難題を解決してあげられなかったことを謝るのがおとなじゃないの?

おとなの勝手さに気づきながらも、「結構、一生懸命やってくれているし」と
大目に見ている子どもたちです。

時折、それっておかしいじゃん!!と意思表明をしてくれる子どもに
「反抗期呼ばわり」して「おとなにそんな口のきき方をするなんて100年早い!!」なんて
一生口きくなと言わんばかりの口封じって、公平なことなの?

きっと子どもだから見えるものや、感じるものがあるはずなんです。
子どもの目や耳や口を、おとなの大きな手で塞がないでicon59

さあ・・・あなたの大きな手を、雄弁な口を、そして立派な耳を、

子どもがおおらかに生きていけるようにするために使ってください。
子どもに安心感を与えるような言葉を発信するために、その雄弁さを使ってください。
子どもが何を考え、何に困っているのかを聴くために、立派な耳を使ってください。

おとなたちよ、宿題をしてから遊びましょうねicon88
やることはやってから、人の要求しましょう……。  


Posted by にじ at 11:01Comments(0)子育て

2011年06月12日

いじめは立派な・・・・・・・

車に乗って、山道を気持ちよく走り抜けていたら
道端に等間隔に新しい立て看板がかかっていました。

新品の立て看板に書かれていた言葉は
「いじめは立派な暴力です」でした。

確かに、確かに、そうなんでしょうが・・・・・・?!?
なんだか 割り切れない?!? 

だって・・・・・・・


私たちがCAPプログラムを通して、子どもたちの日常生活の話を聴いて
感じていることは、「子どもだから」という理由でよく叩かれたり、蹴られたり、
どやされていたりしています。

さまざまな理由をつけては、叩かれているし、蹴られているし、どやされています。
子どものため
将来のため
教育のため
しつけのため
世の中の厳しさを教えるため 
・・・・・・と暴力を受けています。

実際に子どもが虐待で命を落としたケースの大半が
教育のためだった
しつけのためだった
世の中の厳しさを教えるためだった
・・・・・・と保護者はいっています。

これがおとな同士だったら、そんなに簡単に叩いたりいませんよね?

もしも、職場や隣近所の付き合いの中で
ぶしつけな人間がいたからと言って
叩きませんよね? ましてや、蹴ったりしないでしょ?
ほとんどの人たちは、どやしたいくらいの気持ちを抑え込むでしょ?


だけど、子どもにも平気でやるんです。
それも、やらばければならないくらいの気持ちで((+_+))

よくおとなは「人の気持ちになって考えなさい」と言います。
じゃあ、「人(子ども)の気持ちになって考えてみてください!!」

何か怖いことが起こったときや、いやなときには、保護者が守ってくれるんだと
思えるから、子どもは成長することができます(アタッチメント理論より)。自分を守ってくれるはずの人から
大きな手で、大きな声で、叩かれる瞬間の自分の小ささをみじめに感じる瞬間を考えてみて。
蹴られて身体を支えようとしても、足元から崩れて転がっていって、
小さな石ころみたいに自分を感じる瞬間の子どもの気持ちを考えてみて。

子どもが叩かれたり、蹴られたり、どやされたりしている「その瞬間」に感じる
みじめさ、己の小ささ、無力さ、怖さを体にしみこませている行為。
それが体罰なんですよ。
体罰は百害あって一利なし
残念ながら。 

保護者の気持ちは痛いほどわかります。
ただ、どうあがいても、
人の痛みを想像できる共感性が育つことを阻んでしまう行為であり
道徳心や郷土愛や、倫理観などの誰かの役に立ちたい気持ちや、誰かを
支えることが自分にはできるという自信を阻む行為なんです。
コミュニケーション力も奪います。究極、暴力が解決する手段だと
学びますから。

もし、新しい立て看板を作るなら、
「体罰は立派な暴力です」と書いてください。
暴力はパワーゲームです。強いものから弱いものに連鎖するんです。だから
体罰をなくせば、おのずといじめもなくなります。
自分らの行為は正当化して、わずか10数年しか生きていない子どもには
言及するのはおかしな話です。襟を正すなら、おとなからのはず!

子どもたちは、よりよく育ちたい欲求をどの子も持って生まれてきます。
温かさと、毅然とした態度で、接することを望んでいます。
あまあまにしてほしいなんて、子どもたちも思っているわけではありません。

ある中学生が言っていました。
動じないでほしいんだよね~、と。

私たちが落ち着かなくっちゃ!!ですね face15  


Posted by にじ at 07:59Comments(0)

2011年06月03日

市全体で子ども虐待防止

「新聞記事より」


高砂、県内初の条例
 高砂市議会は2日の6月定例議会で、児童虐待防止を市全体で取り組むための「高砂市子どもを虐待から守る条例」を議員提案し、全会一致で可決した。市内での児童虐待の認知件数が増加しており、市全体で虐待防止の機運を高めようと条例化した。罰則はないものの、市や市民、保護者らの責務を明確にし、虐待を受けた子どものために教育支援を行うことなどを盛り込んだ。児童虐待に特化した条例は大阪府東大阪市や東京都武蔵野市などにもあるが、県内では初めて。

 これまでの児童虐待事件で、子どもに暴力を加えた保護者らが「しつけのためにやった」などという理由で、暴力を繰り返すことが目立つことから、条例では保護者の責務として、「しつけの際に、暴行など子どもにとって有害な行為をしてはならない」と明記した。

 市や市長については、虐待防止のネットワークの構築や、市の児童虐待への取り組み状況についての公表を毎年義務づけた。また、虐待を受けた子どもを優先的に保育所などの施設に入所させることなどを盛り込み、市民には虐待の早期発見への協力を呼びかけた。

 市議会は3月に同条例特別委員会を設置し、計4回にわたって審議し、議員提案した。特別委の今竹大祐委員長は「子どもは地域全体の宝。虐待を他人事とせずに、行政や市民が危機意識を持ってもらうために提案した。子どもはもちろん、育児に不慣れな若い親が悲しい事態にならないよう、市全体でかかわっていくことが重要」と話していた。

 同市の児童虐待の認知件数は2005年度38件から、10年度には70件に増加しており、被害を受けた子どもの半数は5歳以下の乳幼児だった。05年度では、身体暴行が24件と半数以上を占めていたが、10年度はネグレクト(育児放棄)が42件と半数を超えた。

(2011年6月3日 読売新聞)

兵庫県といえばCAPセンター・JAPAN事務所の所在地でもあります。兵庫県高砂市でのこの条例に勇気をもらいました。『当たり前のこと』なんですが、『当たり前』が『当たり前』ではないのですから、市民の慣習や文化について行政がリーダーシップをとっていくということでしょう。
 人権擁護と社会正義が福祉の哲学であり科学、なんですものね!
 そもそも児童福祉法や児童憲章に国と地方自治体が保護者とともに~と書かれてもいます。
  


Posted by にじ at 06:21Comments(0)

2011年05月24日

子どもが地域をつなぐ

子どもを育てたこの20数年間をふりかえって、よく、思うことがあります。

この子らがいてくれたおかげで、私はどれほど人間として成長させてもらっただろうか、と。

子どもがいてくれたおかげで、多くの出会いをもらいました。

もしかしたら、子どもどうしが友だちでなければ、自分から付き合おうとしなかったかも?!と

思う人との出会いだったり。

子どもが何やら、しでかしてくれるおかげで、自分では経験しなかっただろう経験を積ませてもらったり。

子どものためと思えば、嫌いなアウトドア体験もしたり(笑)。

わが子だけではない。

地域の「困ったちゃん」扱いをされている子どもについて

近所の人たちは、最初こそ、文句をいっているけれども、

いつの間にやら「どうしたらいいだろうか」と談義している。

談義している間に、近所の人たちの絆が育まれたりしている。

里親さんに預けられる子どものおかげで、里親さんだけにとどまらず

多くの人が成長するチャンスをもらう。

本来、子どもってそんな存在なんじゃないかな?

困らされない子どもにしようなんて、ちょっと手抜きな感じがする。

困っているとき、子どもの存在で、おとなが「おとならしく」なるチャンスをもらっているじゃないかな?

  


Posted by にじ at 01:31Comments(0)

2011年05月22日

エンパワメント

福岡のホームレス3分の1に 就労支援など奏功
.
 2009年に増加数が全国一だった福岡県のホームレスが、2年間で3分の1に減っていることが厚生労働省の実態調査でわかった。


 全国の減少率を大幅に上回っており、福岡市などで一時的な住居の提供や生活保護の活用など支援策が進んだことが要因とみられる。


 厚労省によると、今年1月時点のホームレスは全国で1万890人。前年比17%減少し、4年連続で減っている。福岡県は同28%減の442人。同県ではリーマン・ショック後の09年の調査で1237人が確認され、前年比155人増と増加数が全国でも突出していた。特に県全体の8割を占めていた福岡市のホームレスは2年間で969人から270人に減った。


 背景には官民挙げた取り組みがある。昨年5月にグリーンコープ生協が福岡市東区に個室型としては九州最大規模の宿泊型の自立支援施設「抱樸館(ほうぼくかん)福岡」(定員81人)を開所。就職や金銭管理のセミナー、資格取得のための講義も行う。これまでに約200人が入所し、約50人がアパートを借りて新生活を始めた。青木康二館長によると「常に満室。現在も10人ほどが入所待ち」の状態だという。


 福岡市も09年11月に居住しながら就職、自立を目指す「就労自立支援センター」(定員50人)を新設。今年3月末までに入所した135人のうち53人が就労した。


 同市保護課は「施設の整備などのほか、ホームレスの人たちを巡回して住居や仕事の相談を受けるなど対策を進めた成果が出てきたのではないか」としている。


 また、09年3月から住居がない人にも生活保護を適用できるよう運用を改め、同月だけで318人が生活保護を受け始めて路上生活から脱したという。

(2011年5月19日 読売新聞)

ホームレス状態にある人たちに対して、長い時間、私たちの社会では、『一人前ではない』、『ダメな人間』『怠け者』というレッテルを張り、その上で『ちゃんとした人間』にするために上から指導的に関わろうとしたり、排他的政策をとったりしていた長い年月があります。ホームレス状態にある人たちは、力がないわけではありません。もし、その人たちに欠けているものがあるとしたら、それは差別のある社会で失ったチャンスなのです。チャンスがないがために、知識やスキルを身につけることができなかった。あるいは奪われた。であるならば、必要なことはチャンス! チャンス! チャンス! そして、チャンスの中にある知識とスキルなのではないでしょうか。 

1つや2つのリスクならば何とか乗り越えられても、人生にはいっぺんにリスクが襲いかかる時が残念ながらあります。病気・失業・事故・家族の不幸・天災……。予測を立てて準備をできる人もいることでしょう。しかし、それさえも経済や持ち合わせた環境によって、できることとできないことがあるのが現実です。

私たちCAPでは、よく子どもを信じる!というフレーズを使いますが、それは「子どもを信じていますから」という理由で何もしない自分たちを許すために使用するのではないはずです。信じるからこそ、同時に自分には何ができるのか?と、自分にも負荷を課してできることを探ることなのではないでしょうか。 

「本当に信じること」とは、難しいことです。かなりの意識で信じようと一歩を踏み出さなければいつまでたっても、人を信じたり、信じることを前提にした安心できる社会はできないのだろうと思うのです。

この記事を読みながら、エンパワメント教育法が誕生したブラジルでの出来事を思い出したのでした。
ぜひ、パウロ・フレイレ氏のエンパワメントについて学んでみてください。エンパワメントとは、そんなに甘いほんわりしたものではなく、常に人に覚悟を求めるものだと思われます。
  


Posted by にじ at 12:26Comments(0)

2011年05月17日

幼児期

就学前の子どもたちへのCAPプログラムは、まさに幼児期の子どもたちを対象にしています。
一般的に3歳児、4歳児、5歳児と呼ばれます。あるいは、年少児、年中児、年長児とも呼ばれます。

かれらは人生における生涯発達のスケールで考えると、人生の土台を作り上げている時期の子どもたちです。
大きな筋肉から、細かな作業ができる筋肉まで、十分に発達させようとアタッチメントの絆を結んだ養育者の見える安心できる場所で遊びという学習行為を繰り返しながら自らの筋肉や感覚を磨いているのです。

かれらはおとなとは違うけれども、おとなより劣っているわけではありません
かれらは、おとな同様にさまざまな思考をもち、優れています。ただ、われわれおとなの文化にあるような言語を使いこなせていません。だから、何も考えていないかのように、とり扱われてしまいやすいのです。用心、用心!!

リアルな子どもたちを見てほしい。
子どもとは、わが子という意味ではありません。
すべての子どもを指すのです。

さあ、明日から、あなたの周りを歩いている小さな子どもたちに目を向けてみてください。

彼らは、私たちと同じように感じていること、考えていること。
一方で発達のプロセス故に大きな感覚の違いをもっていることで何も考えていない、感じない、劣った存在であると思いこまれていることを思い起こしてください。

街中で歩いている子ども
はしゃいでいる子ども
ぐずっている子ども
さまざまな子どもたちの様子を探してみてください。必ず、います。幼児期の子どもを探して観察してみてください。  


Posted by にじ at 22:42Comments(0)

2011年05月11日

第45回九州サマー・フェスティバルに行こう!!

第45回 九州サマー・フェスティバル第一夜
子どもにやさしいまちづくりネットワーク支援コンサート

九州koukyou楽団と九州の声楽家・子どもたちによる
「海と水」

2011年7月18日(月・祝)

アクロス福岡シンフォニーホール

このコンサートは、日本財団が地元に寄付文化をつくろうと助成金を出しています。
直接、助成するのではなく、コンサートチケットを各NPOが自分たちの手で売ります。
そのチケット代の一部がNPOの活動資金として渡されます。
さらに、地元の音楽家たち・音楽文化も活気づけるという仕組みになっています。

このコンサート前には、合計5か所で九州交響楽団数人で出前コンサートを開いてくれます。
楽しいおしゃべりでためになるお話とで音楽をつづってくださるのです。
今年はSOS子どもの村のたまごホールや、乳児院などです。

NPO法人にじいろCAPでも コンサートチケットの販売をしています。
何せ、親子チケットが 超お得なチケットになっています。
一流の音楽をすばらしいホールで、お得に聴けるチャンスです。
親子チケットはS席で5000円です。子どもさんがもう一人となれば1500円追加でOKです。

A席なら3000円、学生さんならA席1500円ですよ。

そもそも、「こどもにやさしいまちづくり」を支援するためのコンサートであることも合わせてPRしたいコンサートです。

icon64「子どもにやさしいまちづくり」とはicon64

国連子どもの権利条約の実現をめざして、ユニセフが提案し。世界に広がっている運動です。この趣旨に賛同する、福岡にある多くのNPO、グループ、市民がネットワークをつくって、互いに交流し。「市民フォーラム」などを行っています。私たちが住むまちが、子どもが大切にされ、豊かな子ども時代を過ごせるようなまちづくりをめざして活動するネットワークです。

第1部
早川正昭:海の日“祝典曲”
團伊久磨/服部公一編曲:合唱と管弦楽のための〈花の街〉
(歌曲童謡メドレー合唱曲)ぞうさん、花の街ほか

モーツァルト:過激「コシ・ファン・トゥッテ」より
二重唱「ああ親しい妹よ、こんな美しい口元があるでしょうか」
ビゼー:歌劇「カルメン」より「ハバネラ」
プッチーニ:歌劇「蝶々夫人」より「花の二重唱」とアリア「私の愛しい坊や」

第2部
シベリウス:交響詩「フィンランディア」作品26
ヴォーン・ウィリアムズ」「グリーンスリーヴス」による幻想曲
チャイコフスキー:序曲「1812年」作品49

ぜひ、NPO法人にじいろCAPからチケットをお買い求めくださいますようにお願い申し上げます。ご協力よろしくお願いします。  


Posted by にじ at 19:46Comments(0)

2011年04月26日

ワガママ

2011.3.28愛媛新聞(共同通信社発)

連載:幸せになれない理由 

きたやまおさむ著(精神科医・作詞家)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E5%B1%B1%E4%BF%AE


~ワガママ~ 

 ワガママとは日本語では、なぜかすごくいけないことを表します。ワガママとは自分の思い通りにしたい気持ちであって、自分の思い通りになれないと腹が立ったり傷ついたりするかれでしょう。
なんとか思い通りにしてやろうと画策したり執念深く考えたり、ひとのことを誹謗中傷したりする心の背後にもワガママが存在するからでしょう。だからワガママというのは、不幸の理由の代表なのです。
 ところが子供は本当にワガママです。自分の思い通りにならないと必ず怒って騒ぎます。ワガママな子供時代は、皆が裸の王様だとかお山の大将であって、世界中の子供たちが経験します。
 しかしいったんワガママを満喫すると、やがて現実とぶつかります。そしてぶつかり合いながら最終的には折り合いをつけていくことを覚えます。子供はいったんお山の大将をやってから、段階的に治まって、やがては外界と折り合いをつけることで成長していくことになります。
 だから、非常に早いうちにこのワガママをつぶされると、一生世界は自分の思い通りにならないという気持ちになってしまうでしょう。ワガママとは希望とか願望とから夢とかの源なのです。
 私たちはおいしいものが手に入る方法を知らない状態で生まれてきますが、子供いったんおいしいものがあると分かり、味を占めるとワガママになります。だからワガママとは欲しいものを探したり、夢見たり、希望を持ったりすることの原点なのです。
 だから、幸せになろうとするのは、悪い意味のワガママだとは限りません。特に幼いときの万能感は大事です。やっかいなのは年寄りのワガママで、年をとっても裸の王様やお山の大将では、相手にされないかもしれません。

(記事をそのまま記載しましたので「子供」と表記させてもらいました。)







  


Posted by にじ at 17:10Comments(0)

2011年04月12日

デンマーク講演会:幸福度世界一のデンマークに学ぶ(第8回)

●●●●●●●●● 教育文化研究所関連情報 ●●●●●●●● 
■デンマーク講演会:幸福度世界一のデンマークに学ぶ(第8回)
 講演テーマ:「高福祉社会の実現に向けて」

●講師:ケンジ・ステファン・スズキ氏(S.R.A.デンマーク代表)



左:昨年の8月デンマーク夏季集中講座で講義中のケンジ・ステファン・スズキ氏
中:最新著書:「消費税25%で世界一幸せな国~デンマークの暮らし」角川新書
右:昨年発行の著書:「デンマークが福祉大国になったこれだけの理由」合同出版

1944年 岩手県東山町出身。デンマーク在住。1967年青山学院大学中退
後デンマークに渡る。コペンハーゲン大学卒業後、デンマーク日本国大使館勤務。
79年デンマーク国籍取得。90年 中部ユトランド商科大学卒業後、リサーチ会
社「S.R.A デンマーク社」設立。97年風力発電、バイオマスプラント等の視察に訪
れる日本人のための研修施設「風のがっこう」をデンマークに開校。日本においても
02年京都府及び04年栃木県に相次いで設立された「風のがっこう」の運営協力
に当っている。現在、デンマークと日本の交流事業を講演や執筆活動などを通し
て積極的に進めている。★昨年に引き続いて福岡での講演が実現しました!

●講演概要
1.デンマークの高福祉社会の現状(医療・育児・教育・高齢者福祉について)
2.高福祉社会の基盤(制度と仕組み:個人登録番号制度・税金制度等)
3.デンマークの課題と今後の展望(残された課題とその対応について)
★福岡会場: 5月7日(土)13:30~16:30 (開場13:15)
 会場:クローバープラザ(春日市原町3) TEL 092-584-1212
 ※最寄駅:JR春日駅(博多駅から15分・下車徒歩3分)
      ・西鉄春日原駅(天神から急行で10分・徒歩10分)
久留米会場:5月8日(日)13:30~16:30 (開場13:15)
 会場:えーるピア久留米(久留米市諏訪野町1830)TEL 0942-30-7901
 ※最寄駅:西鉄久留米駅から徒歩約10分(約700m) 
      ・西鉄久留米駅からバス約5分「税務署前」下車
■受講料:1000円(税込) 
■定員:120名(福岡会場)・70名(久留米会場)(※定員になり次第締切り)
■受講申込:FAXまたはメールでお申込下さい
①FAX     092-923-9339(10:00~17:00)
②メール   nakayoshi@kyoikubunka.com
■お問合せ:教育文化研究所 TEL 092-923-9339(10:00~17:00)

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2011年04月09日

親と子のこころの対話研究会 2011年度第1回

親と子のこころの対話研究会定例会を5月7日(土曜日)に行います。

                        2011年4月5日

関 係 各 位
        
                  親と子のこころの対話研究会会長 吉永陽一郎

5月定例会について(ご案内)
時下、ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
子どもの虐待防止、子ども育成支援の研究会として、15年間歩みをつづけてきました。今年度は、子ども虐待の兆候に気づいたとき、親子の様子に不自然さを感じたとき、何ができるのか、あるいは、何ができないのかを、「実際にかけることのできる言葉は何か?」「注意すべき言動とは何か?」「すぐにできることにはどんなことがあるか?」など、そんな具体的な学びの場を企画します。
年間テーマは「何ができる?誰とできる?」です。
地域の一資源としての自分、自分の職場を意識しながら、繋がることの実際的なあり方を、参加者の皆さんと一緒に考えてみたいと思います。
第1回の5月定例会は、下記のとおり、精神科医であり、児童相談所のスーパーバイザーである富田伸医師から、ご講演をいただきます。
医療機関と福祉機関、教育機関の支援者が出会うことを切に願っています。


日 時 2011年5月7日(土曜日)
15:00~17:00(受付14:30)
 講 演 
「発達障害と虐待」
講 師 
    富田醫院 富田伸先生  

会 場 えーるピア久留米 3階 生涯学習室 301・302
対 象 子ども支援に関わる市民及び関係機関
定 員 70名(事前申込み不要。直接会場にお越し下さい)
参加費 500円(資料代等として) 
主 催  親と子のこころの対話研究会
<お問合せ先> 親と子のこころの対話研究会事務局
児童養護施設ひばりが丘学園内(手島)
TEL:0946-22-2907



えーるピア久留米

久留米市諏訪野町1830-6
TEL 0942-30-7901
■ 西鉄久留米駅から徒歩10分
■ 駐車場 3時間以内200円
  


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2011年03月28日

原発エネルギーについて

今まで自分の生活を支えていたエネルギーについて知っていたかな?と思っていたところ講演会を紹介してもらいました。まずは聞いてみようと思っています。



  


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2011年03月19日

子どもが虐待で死ぬとき


2月11日に子ども理解を深めるための連続講座でお呼びした西澤哲氏が監訳された「子どもが虐待で死ぬとき 虐待死亡事例の分析」ピーター・レイダーとシルヴィア・ダンカン著の本を今日はご紹介します。

2月11日の講演会最後に、西澤さんはヘンリー・ケンプのことばを私たちに紹介してくださった。

「虐待ではないのに間違って保護してしまった子どもには謝罪することができるが、

虐待であるにもかかわらず判断を誤って保護せず、命を落とした子どもには謝罪することすらできない」



この1冊は、あなたが市町村窓口の相談員でなくても、児童相談所職員でもなくても、子どもに関わる職業の人たちに読んでほしい1冊です。きっと「なんで?」「どうして?」と思う養育者のことがよく理解できるし、どうかかわるとよいのかの枠組みを持つことができると思います。  


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2011年03月18日

災害の中で

16世紀のことわざです。

“また、よいことがあろうと
楽観しながら最悪に備えよ”


  


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2011年03月14日

今、わたしにできること

被災地のみなさまには謹んでお見舞い申し上げます<(_ _)>

今日も朝がきました。毎日、顔を合わせる家族や仲間、そして人生のパートナーである犬や猫たちと過ごす「当たり前の時間」に感謝します。わたしは感謝は言葉や形にしていきたいと思いました。今回の災害で教わった気がします。

『人が生きていく、とは何ぞや?』と改めて考える機会を私たちは得ました。人が生きていくとは、淡々と日々、すごすことなのかもしれないと考えました。より良く生きていくこと「wellbeing」を選ぶことだなと考えました。わかっていたのかもしれませんが、立ち止まって考えるチャンスを得ました。生きている人間が、よりよく生きるには体があって、気持ちを尊重されて、人や社会とのつながりを持っていて初めて得られるとWHOでも健康だと言っています。まさにwellbeingです。

CAP的に言えば、①正しい知識を年齢や発達に合わせて(当事者が呑み込める形で)渡すこと。②無力感にさいなまれないように人権意識を持てるようにかかわること。③孤立感を減少すること。たとえ解決できなくても気持ちを語るチャンスを持つこと。

節電にしても、物資提供にしても、ボランティアにしても被災地で過ごす当事者にとって一番よいと思われる方法を得ること。節電をするにしても、自分が節電を心がける目的とは何か?と意識を持つことでしょう。西日本と東日本とは違うけれども何かやっていないではいられないから節電するのか? あるいは、世界中の地球資源のことを考えてするのか? など。一番、大事なことは自分の不安感をそのままぶつけないことではないかしら? 焦りすぎたり、~~すべき!と思っているときは誰かを傷つけてしまうことに鈍感になりやすいです。自分を意識したいものです。

「何ができるか」と焦るよりも、自分がまずは健康にすごすことも十分に大事なことだと思います。NPOを長くしていると、いつも感じることですが、自分が立っていることそのものが、誰かへの援助になっていることも多いと知っていますから。今日一日を大事に健康に生きて、自分の仕事を周囲の人を尊重して気持ちやりましょう!「わたしがわたしでいること」が誰かの命に貢献していることなのですから。もちろん、義援金というか寄付も騙されないように行政を通じたものをするのもいいですね。

孤立を減らすことは、「ああでもない」「こうでもない」と仲間と通じていることを確かめ合えることです。ツールでの出会いも大事ですが会って顔を見て、会話を楽しむことも大事ですね。実感こそが大事な時期でしょう。

そのうえで、CAP的に言えば、人の不安が高まれば高まるほど、避難が長引くほど、これから先、暴力も起こりやすくなります。暴力を防ぐ目的での心理的ケアは今後、避難所へのボランティアとして必要となるでしょう。社会的弱者の立場である子どもや女性や障がい者や高齢者へのセルフディフェンスを伝えることや相談を受ける仕組みも必要だといえましょう。  


Posted by にじ at 09:45Comments(0)

2011年03月11日

活性化される組織

昆虫の中で最もシンプルな生き方を選んだアリたち
琥珀に閉じ込められた2千万年前のアリ。幼虫をくわえて運んでいる途中だったのでしょうか?まるで時間が止まったように化石になっています。この5センチ四方の琥珀の中には、2千匹のアリの集団が閉じ込められていました。アリは昆虫の中で、最もシンプルな道を選びました。ハチに似ていますが、羽も無く目も退化しています。しかし、このアリはハチ以上に高度な社会を作り上げているのです。ベルギー・ブリュッセルにある自由大学のドネブール博士は、研究室にアリを持ち込みその行動の原理を追い続けています。アリは散らばった物を決まった所に集める習性があります。ドネブール博士は、数ヶ月にわたってアリの行動を見つめ続けました。その結果、博士が見つけ出したルールは極めて単純なものでした。博士はアリ・ロボットを作ってみました。それは、たった2つのルールだけで動く単純なロボットです。アリ・ロボットは、目の前に荷物があるとそれを掴みます。運びながら他の荷物にぶつかると、持っていた荷物をそこに置きます。それ以外の命令やプログラムは一切ありません。5台のアリ・ロボットを動かして様子を見ます。すると驚いた事にバラバラに動いていたはずのロボットが、いつのまにか荷物を数箇所に綺麗に集めていきました。私達人間は、複雑な情報を1箇所に集めて管理する、いわば集中制御型のシステムで物事を動かそうとしているのです。しかし昆虫達は、これと全く違うシステムを採用しています。アリを始め集団で動く昆虫達を見ると、一見とても複雑そうに思えます。しかし、実は非常にシンプルな原理やルールで見事な秩序を作りあげているのではないでしょうか?http://www.wink.ac/~ogaoga/seimei7.html

いかがですか? シンプルな原理やルールで見事は秩序をつくりあげるアリの世界。

私たちNPO法人にじいろCAPもシンプルな原理やルールで気持ち良く働くようにしています。
NPO法人にじいろCAPで起用しているのは「イワシの群れの法則」です。
法則はたった3つ!!

1.近くに仲間がいたら近づく
2.同じ方向に泳ぐ
3.近づきすぎたら離れる


目的が明快で、シンプルに言語化されていることが大前提です。この群れの「仲間」とは何ぞや?が理解されていなかったら、始まらない。

NPO法人にじいろCAPの仲間とは「すべての子どもが生まれてきてよかったと実感できる社会をめざすこと」です。もちろん、1世代で実現できるなんて考えていません。焦った実現不可能なことを目的にしてしまっては嘘が生まれます。覚悟はしています。自分たちの世代で「ああ、よかった!」なんて容易に言おうと思っているのではないからこそ、シンプルさが必須です。そして、互いの安全性も必須です。自由な発想で思い思いに動くけれども、目的に少しずつでも近づくには、高い社会性が必要ということなんだと日頃から自分たちを振り返っているのです。
  


Posted by にじ at 12:57Comments(0)

2011年03月08日

幼児殺害事件について

熊本で3歳の子どもが大学生によって殺され遺棄されました。
どれだけの人たちが、3歳児の愛らしさを思い、ご家族の苦しみを考えて気持ち塞いでいることでしょう。


本日、私たちNPO法人にじいろCAPにも新聞社から問い合わせがありました。
「大型商業施設のトイレが死角になりやすい、とわかったけれども、どうやったら防ぐことができると思いますか?」と……。

CAP(子どもへの暴力防止)のスペシャリストとして確実に言えることは次のことだろうと思います。

・まずは、子どもの命を奪われたご家族ひとりひとり(きょうだいも)の喪失感や怒り、自責感に手厚いケアが用意されること。
・これから行われる裁判が量刑を決めるだけでなく、再発防止につながるような意味ある取調べ、調査が行われることの重要性。
この被害者側と加害者側へことを大前提として……

私たち「おとなにできること」は、次のことでしょう。

①事件が起きた時だけの慌てたような反応をしない
~自分たちおとなが不安になったからと言って、子どもたちにそのまま不安感をぶつけて、さらに子どもたちを不安にさせないことが重要です。不安感は人間の判断力を劣らせるだけです。~
②不安感を煽るような報道や対応にならないようにする
~再発防止や予防は事実に基づいてのみ対応可能となります。「トイレが危ないらしいよ」「〇〇店が危ないってよ」という噂話の延長では、実際に子どもたちに安全な地域を贈ることはできません。子どもたちは殺害に至らなくても多くの被害を受けています。残念ながら、そのほとんどは顔見知りや、よく知っている場所でなのです。おとなである私たちは、右往左往するのではなく、子どもたちの安全性を全体的に考慮して確実に、一人ひとりの子どもたちが成長できるような仕組みを作ることです。社会の一部分を切り取って全体をわかったような気持ちにならないことが大切でしょう。~
③「~~しちゃダメ」方式ではなく、「~~できるよ」方式の防止策をとりましょう!~大人の不安をそのままに伝えることは予防につながりません。「一人になっちゃダメでしょ!!」「知らな人について行っちゃダメでしょ!!」ではなく、その子どもの年齢に合った安心できる情報(できること)を伝えましょう。たとえば「知らない人に声をかけられても答えなくてもいいんだよ」など。私たち大人は日常生活の中で、思った以上に大人に従順でいることを子どもたちに望んでいます。そのため「知らな人について言ってはいけない」という情報と「あいさつしなさい」「はい!って言いなさい」という情報が子どもの中で非常に矛盾した情報になっています。すっきりと自分が怖かったら、近づかなくていいよ。逃げていいよ。叫んでいいんだよ、と伝え、怖がらせることなく簡単な練習をしておくとよいでしょう。~
④二次被害を防ぐこと
~日頃から大人にできることは、万が一、子どもが被害にあったときの対応の仕方を心得ておくことです。大人の不安感をそのままぶつけないことです。これは繰り返しになりますが、子どものトラウマティックな体験からの回復には欠かせない応急処置です。もしも、「なんで早く帰って来なかったの?」「どうして、ついて行っちゃたの?」「なぜ、いやって言わなかったの?」という言葉を被害を受けた子どもに言ってしまったらどうでしょうか。 どんな被害体験であれ、いち早く、身近な人から「あなたが悪いんじゃないんだよ」と何度も何度も繰り返し言ってもらうことが、どれだけの自己治癒力を引き出すことでしょう。逆に言えば、暴力の被害を受けると被害者側が自分を責めてしまう心理が働きますから、つい言ってしまった責めてしまうような言葉が更なる傷になることになるということです。事前に被害者心理を心得ての対応策を知っていることはAED処置や、心臓マッサージを心得ていることと同じなのです。そして、その頻度はAED処置や心臓マッサージをしなければならないような場面よりもずっと多いことを知っていなければなりません。~

これを読んでくださった方へのお願い
…インフルエンザのウィルス感染を防止するときのことを思い出してください。予防注射を受けることも大事ですが、日常生活の中でよく食べ、よく遊び、よく寝ることがからだ全体の免疫力を上げることになるでしょ?万が一、ウィルス感染しても症状は軽くて済むからです。何らかのことでウィルス感染で死亡事件が起こったからといって、やるべきことが変化しないはずです。社会のシステムとして予防注射や薬の開発、夜間救急の向上、院内感染の予防などの取り組みは大事ですが、一人一人が大事にすべきことは日常生活の中での免疫向上のはずです。予防の手洗いやうがいのはずです。どうぞ、過度の反応をしてしまって免疫力そのものをさげてしまうようなことになっていないかだけはチェックしてみてください。
 子どもが2~3歳になれば、ひとりでできることが増えてきて喜んでいます。ご家族もひとりでできることを眼を細くして喜んでいることでしょう。少しずつ親から離れても大丈夫になります。子どもが本来、そうやって成長できることを奪われてしまうことがないように、そのうえで安全性を高められることを画一的でなく、その場、その場、その地域、その地域で具体的に考えていってください。不安でしょうが、万能薬はないのですから。  


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