スポンサーサイト

上記の広告は2週間以上更新のないブログに表示されています。 新しい記事を書くことで広告が消せます。  

Posted by スポンサー広告 at

2010年08月31日

我が家の新しい家族

我が家にひょんなきっかけで訪れたワンコです。

ひょんなキッカケだったけど、かなり、縁のあっての出会いでした。



彼女が私たちに教えてくれたことは、

援助や支援に従事する人たちの姿勢でした。

「誰かを支える」という「支えられ方」がある、ということでした。

誰かを支えているつもりが、実は大いに支えられているということ。

ただし、このことを「意識」することが大事です。

なんとなく思っているだけでは、罠にはまります。

人は支えてやっている気持ちに簡単になっちゃうからです。

つい、援助者は思い通りに事が進まないと文句を本気で言っちゃいます。

こんなにしてやっているのに・・・

恩を仇で返して・・・などなど。

いやいや、してやっている感を持たせてもらっている訳でして。

支えられているのは誰か?

人間関係は常に相互作用。それを忘れてしまう力関係、という罠。

親への恩返しは、すでに育てているときにもらっているものです。

親から受けた恩は、子どもたちは次の世代に送ればよいのです。

恩は恩送りであり、恩贈りです。

もらえると思うな、恩返し!!

親(おとな)は十分すぎるほど、豊かな経験を子どもたちから頂戴したはずです!感謝!  


Posted by にじ at 07:28Comments(0)

2010年08月24日

虐待の連鎖・暴力の連鎖を断ち切る

よく虐待のことを人にお話をするチャンスをもつと、「虐待は連鎖するから」ということを懸念されます。

それって本当?・・・と考えたことはありますか?

子ども時代に虐待を受けた保護者が、自分が子育てをする保護者側になって虐待をくり返すということは35%±5程度です。実際には7割近くの人たちが、自分が過去に経験した虐待をくり返したりはしません。

ただし、児童相談所や、精神科医さんなどのように現在、虐待をしてしまっている保護者さんのケアを受け持っている人たちは、その人たちから過去の体験を直接、お聞きになるので、あたかもすべての虐待を受けた体験のある人が虐待をしてしまうと感じてしまわれるようです。

ここで問題なのは、矢印の方向です。子ども時代の虐待を受けた体験の人が、虐待をする側になる確率は35%±5にすぎない! この35%の人たちの過去をさかのぼって、子ども時代をふり返ると虐待を受けた体験があるということです。

この違いを安易に並べると、たくさんの人たちを不安に陥れることになります。
人間は、人に語りたくないような体験もしますが、その体験を受け止めてもらえる体験もまたするのです。

暴力は人を遠ざけてしまう影響があります。
それゆえに、暴力を受けただけで人は孤立してしまいやすいのです。
だからこそ、暴力を受けたと思われる人の中にある孤立感に寄り添って、「あなたは一人じゃない」「あなたは暴力を受けていい存在なんかじゃない」ときっぱりと、毅然と言える人間でいたい、そう私は思うのです。

  


Posted by にじ at 16:49Comments(0)

2010年08月10日

虐待死ゼロのまちをめざして・・・に参加して

今日は、福岡市エルガーラホール大ホールにて、子ども虐待防止シンポジウム「虐待死ゼロのまちをめざして~つながろう 子どもの笑顔のために~」が開催されました。大ホールには、入りきれない人が集まりました。立ち見客が帰ることなく最後まで参加していました。

基調講演には、虐待死した子どもが問いかけるものと題して、子どもの虹情報研修センター研究部長である川崎二三彦氏が、大阪市西淀川でおきた2人の子どもが死亡した事例や、東京江戸川で起きた事例などをベースに、お話してくださったことで実に、専門家だけの話ではなく、多くの人の「アレ?」「なんか変?」という一片の情報を集めることが、家庭の中で見えない虐待に何かできることではないか、と結ばれたように私は思いました。死亡事例を後になって検討すると、実は「アレ?」「なんか変?」と思って、放っておけない気持ちになっていた人たちがいたことが見えてきました。この情報と、今までの事例が教えてくれた「育てる人」が抱えた複数の大変さを合わせてみると、困っている人の本当のニーズが見えてくるんじゃないかと。

だけど、虐待死ゼロのため~と言って、誰かを責めたり、非難しては、一番大切なつながりを分断してしまいます。だからといって、つながりを大切にするばかりに距離を持ちすぎてはネットワークはできません。責めずに、恐れずに、つながりを意識的につくることだなと確信しました。

人とつながると面倒なことも一杯あると思います。
わずらわしいこともあるかもしれません。
それでも住んでいる所の人たちと関わることが、実は、すごく大切なんじゃないかな~と
自らの生活を省みながら、思いました。

と・・・早速、事務所マンションの小さな子どもに話しかけてみました。
すると「誰?」と聞かれて、一瞬答えに戸惑いながら「オバチャンだよ」というと
「エヘッ」と軽くいなされました(笑)。  


Posted by にじ at 18:38Comments(0)

2010年08月09日

老眼

いよいよ、来ましたよ。
とうとう、来ましたよ。
老眼なるものが・・・(T T;)icon196

私は子どものころから目がとてもよいのです。
1年ほどまでにも、娘のめがねを買いに行ったときに
視力検査をしてもらったら、2,0以上ありますって、言われたほどです。

目の筋肉の収縮が自由自在だといわれました。
なのに・・・
なのに・・
毎日、パソコンに向かう時間が長かったからかな?
毎日の運動を怠っていたからかな?

いやいや・・・これも成長だんろうな~。
人間、生涯発達だから。これもまた発達なんだ!!
発達を喜ぼう(まだ、抵抗感あるけど)

今日、お友だちのめがねをちょいと拝借して、文字を見てみたらなんて、すばらしく見えることでしょう!!

人は生まれて死ぬまで、ずっと発達をして生きていく。
何かを失いながら、何かを得て生きていくんですよね。

近くの文字を見るときに、ちょっと厄介にはなりましたが、
見えにくいことで苦労する人の気持ちを手に入れました。

また、発達し続ける喜びを手に入れました。うんうん・・・こんなふうに感じられるくらい、素敵な人生を歩んだことに感謝できる自分を得ました。感謝、感謝!!  


Posted by にじ at 01:08Comments(0)

2010年08月06日

葦牙(あしかび)の試写会

8月8日
久留米市男女平等推進センター210・211号室
児童養護施設の様子を描いた長編ドキュメンタリー映画「葦牙(あしかび)」の
試写会を行います。

興味のある方はお越し下さい。

8月8日
14:00-16:00

(13:30会場)
試写会後には、鑑賞後のおしゃべり時間をセッティングしています(希望者のみ)。

ぜひ、お越し下さい。  


Posted by にじ at 09:46Comments(0)

2010年08月06日

つなぐことが未来とつながる

パソコンの調子が悪くて、ブログが停滞していました。
お待たせしました。


今日は広島への原爆投下から65年です。
子どもたちの育ちを研究をしていると、この65年という年月は鍵になる数字のように思います。

よく子どもに関する講演会や、子どもに関する話をしていると、
「最近の子どもは切れやすい」「最近の子どもは、コミュニケーションができない。だから・・・」
「最近の子どもは人の気持ちを想像することができない。やっぱりゲームやテレビのせいよね」
と言われることが多いです。果たして、それは本当なのでしょうか?


18歳未満の子どもが犯罪を犯す中でも「凶悪犯罪(殺人・強盗・強かん・放火)」は
いつかピークだと思われますか?

昭和35年に、18歳未満の子どもが犯した殺人事件は年間に438件
昭和36年には446件

平成に入ってからは多い年で100件程度、少ないときには80件を下回る程度です。
つまり、5分の1程度に減少しています。
強かんにいたっては14~18分の1に減少しています。

成人の凶悪犯罪は終戦直後でした(終戦後から統計が採られている)。
子どもの凶悪犯罪は、終戦から15年後ということです。
つまり、戦争によって壊された絆が子どもたちから「守られ感」を奪った結果が、教えてくれていることを読み解かなければなりません。

くり返します。最近の子どもは切れやすくなっていません!!!
「最近の子ども」が変わってしまったとか・・ということ事態が
私たちおとなが、バーチャルなメディア情報に翻弄されていることを証明することなのではないでしょうか。

テレビやゲームや、メディア問題をあたかも子どもだけの問題と捉えることは、おかしいものです。
同じ社会に、共に生きている同士だという感覚を、私たちが喪失しているのではないでしょうか?

私はCAPプログラムを中心にさまざまな活動をしていますが、
いつも念頭に入れていることは
人と人を・・・
グループとグループを・・・
子どもと先生を・・・
子どもと家族を・・・
子どもと地域をつなぐことを仕事にしているのだという意思です。意識です。

どこも、だれも、みんな一生懸命に働いています。
これをやり続けることが大事だと信じて働いています。
ただ、あまりにも一生懸命働きすぎて
周囲が見えなくなって不安を募らせています。
だからこそ、実体のある「当事者の声」を届けて
コーディネート(つなぐ)役割が大事なんだと思っています。


さあ、今日も一日、自分のした仕事が
どこかに、だれかの安心に
ちゃんとつながっているのか確認しながら
仕事しようっと!!

  


Posted by にじ at 09:43Comments(0)

2010年07月22日

働くということ

あなたは毎日、働いていますか?

誰のために働いていますか?

あなたの今日の働きは、次の時代に生かされていくでしょうか?

働くって、どんなことなんでしょうか?

あなたはクリエイティブに働いているでしょうか?

自分の一日をふり返って、自分にフィードバックしていますか?

誰かに動かされた一日ではなく、自分で動いた一日だったでしょうか。


わたしは、子どもたちのために働きたいのです。

子どもの頃からの夢でしたから。

どこに生まれたか

どこで育ったか

ちょっとだけ家族だけでは解決できないようなことが起こったら、そこで暮らせなくなるとか

家族と離れ離れにならなきゃいけないとか

家族から見捨てられたようなキモチにならなきゃいけないとか、じゃなく

すべての子どもたちが、すこやかに無邪気に過ごせる時間をプレゼントしたいのです。

今日一日の自分の働きが、そんな未来の一歩になればな~と

心から願います。

そして、子どもたちのために懸命に働く人たちと、あるいは子どもの未来を願う人たちと

つながっていたいな~と思うのです。

今日は、働くって何だろう?と考えてしまう一日でした。  


Posted by にじ at 23:35Comments(0)

2010年07月19日

自由

CAP子どもワークショップで「自由って、どんなとき?」と尋ねると、子どもたちはイキイキと答えます。
たとえば・・・・・

遊んでいるとき
寝ているとき
好きな科目の授業のとき
図工の時間
体育のとき
親が家にいないとき
宿題をしてしまったとき
夏休み
おじいちゃんから、お母さんに言わなくていいよってお小遣いもらったとき
お父さんが「わかったか!」と説教を終わらせたとき
プールの時間の最後の自由時間
友だちと、何して遊ぶ?と決めているとき
バイキング(料理)のとき
セレクト給食の日
塾や習い事のない曜日
命令されたないとき


子どもたちは、本当にイキイキと答えます。
あの表情の1つ1つが私の宝物でもあります。

ひとりで決めることもあれば、仲間と決めることもある
誰かと相談しながら、行動や形や、考え方を選んだり、決めたりする
それが上手くいかなかったら、また、選びなおす
そのくり返しが「自分らしさ」
自由に選んだり、決めたりすることは
人が生きていくのになくてはならないもの


しかし「自由なんてない」と、怒りに満ちた表情で吐き出すように答える子どももいます。
彼らの深い根源的な怒りは、数日間でできたようなシンプルなものではないでしょう。
きっと無力感を思い知らされる日常があるのかもしれません。


~~しちゃだめ!
~~なこと考える方がおかしい!
~~なんて思っちゃダメ!
・・・・・のように、考えることや、思うことや、想像することさえ、何かに縛られている子どもたちを見ると
私たちおとなは、一体 何のために働いているのだろうか?と思うことがあります。

頭の中さえ、誰かに支配されている子ども
これは笑いごっちゃないですよね。

「今頃の若い人は、我慢ができない」という自分の思い込みを理由に
自分の感情を優先させて、
おとななのに、子どものすこやかな育ちを優先させることができない
これこそが課題なんじゃないかな?

「おとな」な私を大事にしたいです。
「おとな」な私は、小さな人たちが失敗を恐れず、あれやこれやと果敢に挑戦したり
おとなをビビらせるほど、ダイナミックなことを考えたり、やってみようとすることを
笑ったり、苦笑したり、冷や汗かいたり、黙ってフォローをすることなのではないでしょうか。

団塊の世代の人たちは若い頃、
若僧だった10代20代に
おとなに向かって、あるいは大学教授に向かって
「教え方が悪い」「思想がなってない」などと
糾弾したり、授業をボイコットしたり・・・・・・
そんなことを考えることや、やってみようと思えるだけの自由を与えてもらっていたんじゃないかしら。

とても今の子どもたちが、それだけのことを思いつくほど、
自由な時間や、自由な発想を認めらているとは思えないなぁ~・・・


さあっ、わたしも大きな深呼吸をして、大きな空を見て、壮大な夢を見て
そして、今日生きていることに感謝するところからはじめよっと!!




  


Posted by にじ at 13:40Comments(0)

2010年07月16日

気の毒な子どもたち

7月15日(木曜日)日本テレビのNEWS zeroで、児童ポルノについて報道がなされていました。

日本の中では、子どもの性搾取を行った場合は法に触れるけれども、一旦出てしまえば「児童ポルノの所持」「児童ポルノの閲覧」には何ら法規制がないのです(先進諸国の中では日本とロシアのみ)。 所持閲覧に関しては法規制がないために、罪の意識もないままになるし、一旦ネットに出てしまった画像は半永久的に消去することが不可能になってしまうということが報道されていました。

ところが星野仙一元野球監督がコメンテーターとして出演をしていて、この事件をもとに日本の法規制の甘さやユニセフから法改正を求められていることを報道していたのにも関わらず、「「いろいろとご意見もあるでしょうが、持論としていいます。子どもたちがあまりにも我慢が足りない。本来なら学校や家庭でとことん、ある程度の年齢になるまで我慢することを覚えさせなければならないと思うけど、家庭や学校ではやれないから徹底した自制心を培うプログラムを受けさせなきゃいかんと思う。」と話されました。

星野さんの発言こそが、サンドラ・バトラー著「沈黙の共謀」に書かれている構造そのものです。つまり、暴力は加害者が、被害者に沈黙を強制し、被害者が沈黙を守らなければならないと信じ込まされ、その沈黙を社会が培養するというものです。

この問題は暴力・犯罪の問題です。子どもの問題ではありません。もしこれが、交通事故であれば、例え子どもが飛び出したからと言って、子どもの自制心の問題として取り上げないはずです。

そもそも自制心のかけらもなく、18歳未満の子どもを自分の欲のために乱用(Abuse)する性搾取という虐待(maltreatment)であり、これらの犯罪を許容することになる法整備しかない国の問題であるはずです。自制心がないとか、我慢がないのは、子どもではないはずです。たとえ、自らの写真を買い手に渡したとしても、それを子どもの問題に摩り替えてしまえば、「子ども」という概念そのものを無視することではないでしょうか? 何の権利も与えられないままの子どもたちに責任だけを負えと突き放す国家体制で、次世代を担えると考えているのでしょうか?

星野さん、自制心もなく思いつきでメディアに登場するあなたこそが、あなたの提案するプログラムに参加なさるべきではないかしら? 村尾キャスター、あえて子どもや家庭教育の問題に摩り替えてしまったあなたの意図は何なのでしょうか?

ISSAC(国際児童虐待常任委員会)での虐待の定義をぜひ、検索してご覧になってみてください。それが世界の基準です。  


Posted by にじ at 02:05Comments(0)

2010年07月11日

もうすぐ夏休み

もうすぐ夏休み!! こどもたちのパラダイス!!


わたしは、夏休みが大好きでした。
水が大好きだったので、一日中、庭先でホースで水を撒き散らしていました。
今、ふり返るとよくぞ、親が水道代のことなど言わずに遊ばせてくれたなぁ~と思います。

ホースの口に詰め物をしたり、口をつぶしたり、ホースを結んだり・・・・・
水着を着て、お風呂で泳いでいるつもりごっこもしました。
お風呂ににシャンプーを流し込んでシャワーで泡立ててて、洋画で見た優雅なご婦人気取りで
ひとりで遊んだり、熱くなったテラスに水で絵を描いたり・・・・・

とにかくお昼は退屈だから、思いつく限りの遊びをやりました。
田んぼで囲まれた環境でしたから、わんさか湧いてでるような
大量のおたまじゃくしを手ですくって、干してみたり・・・
カルピスの瓶に入れて、かえるになったら、でてくることができるかどうかの実験をしたり・・・
ザリガニを堀に入って、手づかみでとって学校にもって行ったり・・・
学校の夏休みのプールは皆勤でした。
学校のプールで石を投げて、もぐって、とって~を友だちとやっても叱られませんでしたし・・・
学校のチョークを箱ごともらって、家路までの落書きしながら帰ったり・・・
熱くなったアスファルトを裸足でどのくらいまで歩けるかの実験をしたり・・・
友だちと集団で遊べる日には、何時間もかくれんぼをやり続けたり・・・

とにかく「ご飯よ~」と呼ばれるまでは遊んでOKでした。
家に親もいましたが、黙って遊んでくれていると楽チンだと思っている様子でした。

田舎暮らしのわりには、教育熱心な母でしたから、
夕飯を食べたあとは、夏休みの宿題を「二人」で協力して作りましたけどね(笑)。
ほとんど、母親の作品展のような宿題ばかりでした。


お天気グラフィックは母が毎日、記録してくれていましたから、それを最終日にまとめて模造紙に描きました。
グラフィックは得意でしたが、小まめさがなかったため、記録は母の係りでした(笑)。
父の帰りがいつも遅かったので、夕飯を食べて、父が帰ってくるまでの間は
母と毎日、作文作りでした。毎日です!!

毎日、「どんなことが今日は楽しかった?」と聞くので
あれやこれやと、母の質問に答えながら、文章化していきます。
そうすると、いくつかの短冊ができるので、それを並べ替えて全体のバランスを考えます。
そして清書の時間です。

父の帰りは11時ぐらいですから、当然、子どもには睡眠時間が少なくなります。
それで、わたしはお昼寝の習慣がついていました。

父が帰ってくると、更に、今日一日のできごとを話すのです。
裕福な家じゃないから、夏休みに旅行に行くこともなく・・・・・
贅沢するわけじゃなかったけど・・・・・
ふり返ってみると、ぜいたくな時間の過ごし方をさせてもらったな~と思います。

人生の半ばを折り返した今でも、夏の暑い日ざしを見ると、思い出す光景なのでした。  


Posted by にじ at 16:40Comments(0)

2010年07月01日

虐待死ゼロのまち

とうとう、久留米市でも虐待死亡事件が起こってしまいました。

保育園がこのままでは!と気づき

地域の人も、どうにかして・・と通報し、

児童相談所も、久留米市も介入していたのに・・・



なぜ、諸外国のように「どういうつもり」かは別にして危険な要素があれば、即刻対応~という選択ができないのか。

親の権利が、子どもの生命の危機や、成長の危機より優先されるのか?


児童相談所がとか、市がとか、というレベルの話ではないのではないでしょうか。


それでも・・・今回の事例のように「首に絞められたあと」があるのに「常習性がない」と判断するのは、初歩的知識の欠如としかいいようがありません。



「子どもが嘘をつく」と悩んでいたという容疑者母親の言葉が記載されていましたが、その追い詰められ感をもった母親の話を、どのような視点で聞いていたのでしょうか。きっと専門的な知識やソーシャルワークが必要だったのではないでしょうか。



ひとりの小さな命が、命を守る仕組み改正につながりますように、私たちも要保護児童対策協議会の一員として、

市民として、アクションを起こしたいと思います。皆さんもお力をお貸し下さい。  


Posted by にじ at 09:43Comments(0)

2010年06月25日

親を慕う子どもの気持ち・・・

1997年から、わたしは毎日のように子どもたちに50~90人くらいの子どもたちに接しています。
ただ、接するだけでなく、子どもたちに「安心・自信・自由の権利がある大切な存在なんだよ」と伝えてから、お話をしています。

たくさんの子どもたちの率直な気持ちを聴いてきました。

子どもたちは、親が思う以上に親を愛して愛して愛しています。
親に認められたいばっかりに、どれほど、小さな胸を痛めていることか・・・

親にだって、いろんな言い分があることは、わかります。

ただ、子どもたちが親を慕う気持ちは、そんな言い分なんて吹っ飛ばすくらいの勢いで深く強いものです。

もっともっと、子どもたちの発達を知って、かれらの深く強い気持ちを、知ってほしいと願ってやみません。

ある日、前日にワークショップを受けた小学生が私たちが学校に到着するのを待っていました。 彼に気が付いて「あら?」と声をかけると帽子をとって「昨日はいろいろ教えてくださってありがとうございました。」と一礼をしました。 「昨日は、ご家族にCAPにお話をすることできましたか?」という私の質問に対して・・・
「はい! 自分は家族に大切にされているんだと思えて、安心・自信・自由になりました。うれしかったです。」と。本当にうれしそうでした。・・・さぁ~この子は何年生だと思いますか? 上級生ではありませんよ。彼は、心配をしていました。いつも「もっと頑張れ!」と叱られ、叩かれて気合を入れられて、「自分は親が望む子どもではないではないから、嫌われているのではないか?!」と。 そのことを相談してくれたので、いっしょに考えたんです。家に帰って、自分の気持ちを親に話せたんでしょうね・・・。 うれしい報告でした。もっともっと、彼らの深く強い思いを先生方やおうちの方に知ってほしいし、思いもよらぬところで彼らは引っかかって前進できなくなっているのかを・・・知ってほしいし、大切に思っていることや、彼らにもつらい気持ちがあることを知っていただきたいものです。

  


Posted by にじ at 23:36Comments(0)

2010年06月19日

子どもの発達障害と情緒障害



この本をみなさんに、ご紹介します。

ADHDや アスペルガー症候群や、LDなど子どもの発達障害には
多くの注目が寄せられますが、実は、情緒障害は忘れられガチです。

リンクはしているものも多いですが、こじれた状態が問題です。


そもそも障害という言葉は、英語のdisorderを訳した言葉です。
disとは、乱れた orderとは、秩序とか決まり
つまり、決まりが乱れているとか、凸凹とか、なあんか上手くいっていないとか
という意味です。

それも、定型発達という その時代に社会が求めている発達した姿から想定したdisorder
という意味です。

定型発達そのものが、平均という意味でもないし、普通という意味でもないです。
マジョリティという意味でもありません。

ですから、同じ子どもが どこの社会に属しているかで、disorderになるか
ならないかが、変化してしまうということです。


私が子ども時代には、いろんなタイプの個性的なともだちが いっぱいいましたが、
おとなたちは、さほど、困っていませんでした。


私自身、小学校3年生の頃、チョークで道端に絵を描くことにハマッていました。
後先考えずに、先生たちの教具室からチョークを一箱抱えて帰って、
家路まで2kmほど、絵を描き続けて帰っていました。

夏休みは朝から夕方まで一日中、水道出しっぱなしで、
ホースで水遊びをしていました。
指で水をふれる感触が楽しかったです。

それでも、私はおとなしく一人で遊んでくれる育てやすい子、と
親が見てくれていましたから、ほめられることはあっても
叱られることはありませんでした(笑)。

その子の行動を、どう見るかは、医療現場でどんな診断名をもらうかよりも
重要なことも多いと私は、思うのであります。

ちょっと考えてみませんか?

幼稚園・保育園・小中学校の先生方には1冊、必須の1冊になさってみてくださいねicon91  


Posted by にじ at 03:24Comments(1)

2010年06月12日

素敵な学校

朝倉市杷木町志波の志波小学校にいきました。
子どもの数は減少しつづけ、今年度の入学生は6人でした。
この学校に毎年、通わせてもらってすでに10年以上。


子どもワークショップを通して、毎年、子どもたちと触れるたびに
“人の幸せ”って、こういうことなんだろうな~と考えさせてもらいます。

学校の先生方が子どもたちを見る眼差しは「教師」というより、
「育むおとな」って、感じです。
子どもが転べば、すぐにでも、走りよって助けたい気持ちになるけど
やせ我慢して、見守るというイメージです!

幸福度世界一の国デンマークの小学校は、子ども20人に二人の教師だそうです。
それと同様の環境です。
サルも、燕も、いのししも、たぬきも、鹿も共存している環境の中で
暮らしています。


子どもが何かを閃いたり、うまくやれた!と感じたとき、すぐに、
先生たちとアイコンタクトをとって、ニッコリface15

失敗した! ケンカした! 泣いた!
というときもすぐに、先生たちに目を向けて
『どうしよう?!』
『だって、○○ちゃんが先にしたんだもん…』
『痛い、痛い』・・・・・と目を向けて、優しい眼差しで、よしよしされています。

Attachmentが学校では先生と
Attachmentが、大家族と、知っている大人集団としっかり結ばれている感じです。

とはいえ、いろいろ課題も抱えている子どももいます。
時に我が儘言ったり、ぐずったり、天邪鬼だったりする子ども。

そんな行動をする子どもに対して、またまた、友だちたちがとる行動は、
先生やおうちの人たちと同じ!

叱ったり、怒鳴ったり、指導したりではなく、
やさしくキッパリ、~~だよ!とくり返し、支えてくれるんです。
怒ったり、争いにならない。
すばらしい関係性です。

おとなから 育んでもらったとおりに
お友だちにもできるんですよね・・・・・

私たち、おとなは 生まれて間もない小さい子どもたちに
あまりにもパーフェクトな「成人ぶり」を期待しているようですね。

勝手に期待して、勝手に怒って

勝手にダメなヤツだと見切りをつけて

子どもたちにダメダメイメージをつけてしまう。

その悪循環のようです。

もっともっと、ナチュラルに子どもを育むとはどういうことか
考えたいものです。

  


Posted by にじ at 16:53Comments(0)

2010年06月08日

虐待死ゼロのまち

私たち、NPO法人にじいろCAPは、福岡市子ども虐待防止活動推進委員会の一員として
虐待死ゼロのまちづくりをめざしています。
以下は、そのアピール文です。

「虐待死ゼロのまち」をめざして

アピール

私たちみんなで、何ができるか、学び、話し合い、行動しましょう


虐待による子どもの死亡事件があとを絶ちません。
こんな悲しいまちにしないために、
みんなで、私たちにできるか、考えましょう。

想像してみましょう。
抱きしめてもらいたい母親に、突き放された。その子どもの悲しみ。
ほほえんでもらいたい父親に、置き去りにされた、その子の恐怖を。

耳を傾けてみましょう。
死んでしまったその子が、命をかけて訴えたかったことに。
戦争でもないのに、短い生涯を
終えなければならなった、その子の無念を。

この親と子に、私たちは何ができるか、話し合いましょう。
そして、立ち上がり、できることから
行動しましょう。
市民も、行政も、企業も。そしてメディアも。

あらゆる人に呼びかけます。
「虐待死ゼロのまち」をめざすとりくみに、
どうぞあなたも参加してください。



「子どもが虐待で死ぬときは、子どもも親も社会から見捨てられている。
そこで子どもは、頼る人もなく、過酷な生活に耐え、
力尽きて孤独に命を閉じる。」
(日本子ども虐待防止学会会長 小林美智子)
  


Posted by にじ at 23:49Comments(0)

2010年06月05日

久留米市男女平等推進センター



わたしたちがいつも活動の拠点にしている!・・・といっても過言ではない“久留米市男女平等推進センター”交流スペースの写真です。通称「え~るピア」です。ここが建設されたことで、随分と地元のいろんな活動グループは、活性化しました。


ただ建物があるだけではなく、久留米市男女平等推進センターの職員さんたちが、私たちの活動を理解し、応援してくださっている感じが伝わります。そのことも、活動が活性化する1つの大きな要因になっていると思います。

活動とは、ただ努力すれば上手くいくという話ではなく、環境も大事ですし、交通の利点も大事です。そして、久留米市男女平等推進センターのように行政・人・熱意も含む社会資源も大いに大事な点です。

久留米市男女平等推進センターさん、いつもありがとうございます。

また、名前がいいでしょ? 男女共同参画ではなく、すっきりと目指すは男女平等なんだ!!という名前が。

男女平等だから久留米市男女平等推進センターではなく、結果的男女平等を目指して、それぞれのグループが活動するために集い、その1点で活動を違いを超えてつながりあう場所・中心点がここ久留米市男女平等推進センターなんです。

箱物がバッシングを受ける昨今ですが、単純にダメといえるものではなく、常に道具はそこにいる『人間』の問題のはずです。

どんな目的で使うのか? 
何のためにあるのか? 

運営をするためにあるのではなく、人のためにどんな使いかをするのか、創意工夫があって初めて、ただの箱物が地域をエンパワメントする社会資源になるのではないかな?  


Posted by にじ at 06:22Comments(0)

2010年06月01日

子ども手当てから考える「子ども」

昨日、子ども手当てについて、ニュース特集が組まれていました。

東京都足立区にある児童養護施設「クリスマスヴィレッジ」という施設で、園長が「子ども手当て」が入所している67人中6人にだけ子どもに(施設管理者を通して)渡されることや、他の子どもたちは、別に暮らしている親に渡されることなど、詳しく正確に情報を入所児童に対して、伝えてありました。

それらの情報を基に、子どもたちが一生懸命に考えている姿が映し出されていました。
この事実を自分なりに消化しようと、子ども同士で話していました。

それらの映像を見て、わたしも考えました。

子ども手当てが未整備な中で配布されることが問題なのではなく、子どもというだけで「受け止めることができない存在」だとか、「何も考えていない存在」などと決め付けてしまって、当事者である子どもたちに情報を渡さない「おとな」の態度の方が理不尽な行動なんだなと、考えました。

子どもたちは決して非力だったり、無力だったりはしません。
ただおとなが情報を渡さないことで、自分の力で乗りこえるチャンスを奪われてしまいます。
秘密にされてしまっては、何を乗り越えたらいいのかさえ、わかりません。


自分がなぜ、児童養護施設に入所しているのか?
自分はどのくらいの期間、ここにいると想定されているのか?
今、自分の親はどんなことを考えているのか?・・・後見人さんや、児童相談所職員さんや、自分を見守ってくれる人たちがどんな考えで自分をみつめてくれているのか、知ることが信頼の第一歩ですよね。


NPO法人にじいろCAPでは、児童養護施設や情緒障害児短期治療施設でCAPプログラムを実施しています。子どもたちの知る権利を、どのくらい意識してワークショップを展開できているでしょうか。

もう一度、確認しあいたいと思いました。

追伸:「CAPを続ける理由」に記載した写真は、5月29日(土)に兵庫県西宮市市民交流センターでおこなわれた「NPO法人CAPセンター・JAPAN2010年度総会」会場に貼られた、CAPグループで使用している安心・自信・自由のボードです。  


Posted by にじ at 18:52Comments(1)

2010年05月28日

CAP活動を続ける理由


子どもがいじめや、誘拐、性被害にあった時に、自分の身を守れるように・・・そして、少しでも被害を最小限にとどめ、少しでも早く心理的外傷の手当てをし、少しでも回復を早めることができるように・・・そのためのプログラムがCAPです。


だからこそ、子どもが暮らす家族の人たちに、家庭でできる予防を学んでほしい!
だからこそ、子どもが長い時間を過ごす学校の先生たちに、正しい伝え方を学んでほしいし、被害を言えずにいる子どもたちに気づく術をもってほしいし、被害を打ち明けれらたときに慌てずに、二次被害を起こすことのない対応を心得ていてほしいのです。


だから、CAPプログラムは①学校の先生方に ②ご家族や地域の方に 受講してもらってから「子どもワークショップ」の実施なのです。


家族内に安心・自信・自由を得られていない子どもには学校で!
学校内で安心・自信・自由を得られていない子どもには家族で!
地域の人たちが安心・自信・自由を得られていない子どもに気づける力を!
行政が安心・自信・自由を得られていない子どもに、手当てを用意できる仕組みを!!

家庭+学校+地域に子どもへの暴力防止が実現できるように提供するのがCAPプログラムであり、CAPスペシャリスト集団なのです。


性被害は女子だけでなく、男子にも起きています。
被害を受けると人は、自分が悪かったと思わされます。そのことによって更に被害を誰にも話すことができずに、さらに生き難さを抱えることになるのです。それが子どもであれば、尚のことです。
性暴力の加害者は決して偶然に加害行為に及んだのではありません。長い時間をかけて計画を秘かに練り上げ、チャンスを作り出し、子どもたちに近づくのです。


それら暴力に対抗できる力とは、子どもにある根拠ない安心・自信・自由な感覚が必要です。
自分の存在そのものを大切に思えていること、何の根拠もなく、自分の感覚に自信がもてていることが必要なのです。
それは、一夜漬けでできるものではありません。日常生活の中でしか築くことができません。
CAPプログラムで提供できることは知識とスキルと、考え方です。
それらを使いこなすことができる「自尊感情」「人権意識」は学校+家庭+地域のおとなたちの役割なのです。


PTAのみなさんだけでなく、学校の先生方と共通の言葉と考え方をもって、CAPを使いこなして、すべての子どもたちが安心・自信・自由の権利を大切にされながら、成長する1日1日を支えていきたいと願っています。

それが、わたしたちCAPメンバーが、活動をつづけている理由なのです。

すべての子どもたちが必要とされている・・・
自分は大切な人間なんだ・・・と実感して生きてほしいのです。
  


Posted by にじ at 00:38Comments(0)

2010年05月26日

1年生



1年生のワークショップに行くと、いつも感じることがあります。

それは、1年生は「まだ」1年生ということです。
なのに、「もう1年生」ということで、子どもらは、突き放されている気がしています。
1年生なりに緊張して学校生活をしているから、ちょっと認められたいと思っていますし、ちょっとヨシヨシってハグハグされたいし、うれしそうに話を聞いてもらいたいって思っています。そんなに大層にかまってほしいのではなく、ちょっと見てほしい・ちょっとわかってほしい・ちょっとエライね!って言われたいのです。それが成長のための充電なのですから。言葉や温かさという影響も子どもたちには必要なのです。

親もいっぱいいっぱいになることもわかりますが、少しだけ、やせ我慢して子どもたちに充電してください。そのほうは、親にとっても充電になるものなのですよ。実際に子どもに読み聞かせなどをすると、読んでいるおとなにも情緒を沈める作用になるのみたいですしね!

もう1つ!! 私たち世代から見ると、お母さんもお父さんたちも、かわいいicon06

お母さんや、お父さんたちにも、まわりの人たちが、いろんな「かまい方」をしてほしいです。
人生長いんですから・・・互いにゆっくり成長していきましょうね!!

  
タグ :子育て


Posted by にじ at 20:31Comments(0)子育て

2010年05月26日

川会小+山川小に行きました!


今日は、川会小学校と山川小学校にワークショップにでかけました。子どもたちが先生を信頼している姿っていいなぁ~と改めて思いました。先生が作り出す安心できる空間で、子どもたちは自ら持っている成長する力を発揮できるんですね。


午後、学校の給食を頂きました。“あ、そうだ!給食を写メろう!”と途中で思いつきましたので、食べかけの給食ではありますが、ちょっと一枚。今日のメニューは、野菜たっぷりのうどん麺と、わかめとシーチキンとにんじんの和え物と、パン、牛乳、りんご寒天(ゼリー?)でした。おなか一杯になりました。


みなさんの一番、好きだった給食って何ですか?
私はミートスパゲティでした。それと、ミルミルク牛乳でした。コーヒー味の粉を牛乳瓶に入れて混ぜて飲むタイプです。牛乳嫌いの私もあれはうれしかったです。今のような食器ではなく、ボコボコに凹んだアルミの食器でしたし、先割れスプーンでした。年代がばれちゃいますっけ?!?face15  
タグ :給食


Posted by にじ at 20:05Comments(0)